ノート:ナム・ジュン・パイク

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ビデオ・アートが生まれた年[編集]

パイクの1963年の展覧会としている資料が複数手元にあります。『情報の歴史』(NTT出版、1990年)や、O美術館の展覧会カタログ『ビデオ・新たな世界──そのメディアの可能性』(1992年)などです。ビデオ・アートは、ビデオテープに記録しない、リアルタイムの(生中継による)作品も含まれるという見解をビル・ヴィオラが『イメージフォーラム』誌に掲載されたインタビューで述べていたのを読んだことがあります。山本圭吾の作品などがまさにそうです。 Otkoyg2007年2月7日 11:07(UTC)

1965年を最初としていたのは私の書き加えた文章かもしれません。確かに手元の資料(おなじくNTT出版の『情報の歴史』、および『現代アート入門 今に出会う歓び』(平凡社、1998年)の山脇一夫の文章)ではこのドイツでのテレビ受像機を使った展覧会をビデオアートの出発点と表現していることを確認しました。--Nopira 2007年2月7日 (水) 14:15 (UTC)[返信]

美術評論家の伊東順二による評価について[編集]

Blueroses5327さんの2007/2/14の修正で

日本で最初にパイクを評価した美術評論家は伊東順二で

とありますが、この評論家は1980年代に登場した人で、パイクが最初に名をとどろかせたのは1950年代のピアノ破壊のパフォーマンスなどであって、 東野芳明なども古くから言及・評価しているはずです。-- Otkoyg 2007年2月14日12:48(UTC)

あっ、それはビデオアートについての評価で、しかも「最初に」じゃなくて「熱烈に」でした。 書き換え書き換えでゴチャゴチャになってました。すみません。 -- blueroses5327

現状の記事名[編集]

改名された直後に『「姓と名を区別するときに使う記号」という名目で移動させたけど、Nam June Paik(ナム・ジュン・パイク)は一種の芸名みたいなもので、ドイツ留学時代に前衛芸術家として活動し始めたからこそ、アメリカで活動を始めたときにドイツ風の名前を名乗ったんです。本名はBaek Namjun(ペク・ナムジュン)だけど、パイクの場合はNam June Paik(ナム・ジュン・パイク)なんです。改名は戻しておいて下さい。』っていう(うろ覚え)wikiメールを改名人に送ったんだけど今のところ全くの反応無し・・・--Blueroses5327 2007年10月3日 (水) 15:26 (UTC)[返信]

御説を支持します。ひと月以上反応なしなら戻してよいかと。--Otkoyg 2007年10月8日 (月) 05:17 (UTC)[返信]
移動にあたって議論した形跡もありませんし、オフィシャルに近い回顧展でも御説の通りですので、戻しても支障はないかと。--Mt.Stone 2007年10月8日 (月) 07:18 (UTC)[返信]
Nam June Paikが[1]使われているのは私も知っています。日本語で書く際は・(中黒)はナム・ジュン・パイクのように一文字ずつ振るのではなく、ナムジュン・パイクと姓と名の間に入れなければなりません。--hyolee2/H.L.LEE 2007年11月25日 (日) 04:37 (UTC)2007年11月25日 (日) 04:50 (UTC)(修正)[返信]
Blueroses5327さんの意見に賛成です。外国人名の表記については、必ずしも姓と名の区別が(日本のようには)明確ではなく、「中黒」は姓と名の間と言うよりも、複数ある名前の間に入れるというのが自然ですね。例えば、「ファースト・ミドル・ファミリーネーム」のように。Nam June Paikの場合も、ナムとジュンをわざわざ別語として分けているので、ナム・ジュン・パイクが正しい表記(に近い)と思います。--Buckstars 2007年11月25日 (日) 12:24 (UTC)[返信]
この場合、必ずしも韓国人の記事名の原則にならう必要はないのでは。ドイツ語に基づくナム・ジュン・パイクへの記事移動を支持。--Nopira 2007年11月25日 (日) 15:15 (UTC)[返信]
移動いたします。--Kmrt 2008年8月8日 (金) 07:29 (UTC)[返信]