ノート:ドイツ観念論

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過去の記録[編集]

カントとドイツ観念論・カントのフィヒテ評価と交流史(啓示批判の試みから第一序説の頃) -- 12月上旬の履歴をご参照ください。

eine Ethik...[編集]

これは、要検討になりそうですが、カントをドイツ観念論にいれる立場の研究者と入れない立場の研究者の名をあげて(ドイツのも含めて)、それぞれの主張のアウトラインを紹介するというのも、面白いかもしれませんね。ただ、これは大学の紀要や雑誌論文のようなものあたらないと難しいかもしれませんが。これは私も、時間見つけて見ておきます。--ケンチン 2004年12月10日 (金) 12:21 (UTC)[返信]

そうですね。あるいはドイツ観念論そのものの研究史があってもよいのかもしれません。後期シェリングや後期フィヒテの評価は、クローナーあたりの直線的な、あるいはヘーゲル中心的な哲学史と現在とでは変わってきていますから、そうした情報も有益でしょうか。Kroner は最近翻訳が出ていますが、Walter Schultz の die Vollendung は翻訳があったでしょうか……。 それから、やはりもう少しドイツ観念論の代表的な学説自体を紹介してもいいのかなと思いました。もちろん内容は絞って、自我・知的直感・理性(あるいは理念)・精神・神・絶対者など基本的なタームの解説をするか、あるいは知識学・自然哲学・論理学・法哲学・歴史哲学・美学などのようにジャンル別でかいつまんで内容を説明するか。もちろん詳しいことはそれぞれの思想家の項目に譲るべきだとは思いますが。
ワルター・シュルツの本は(Die Vollendung des Deutschen Idealismus…)まだないとおもいます。シュルツは確かシェリングとフィヒテの往復書簡の解説してましたね。比較的最近亡くなったからこれからではないでしょうか?学説を紹介するなら、概念の方がよろしいとおもいます。無論可能な限り、私もお手伝いいたします。あと編集時、すこしニンマリしてしまいました。^^;

--ケンチン 2004年12月15日 (水) 12:27 (UTC)[返信]

ありがとうございます(何を)。そうですね、いまの構成ですと「カントとドイツ観念論」と「交流」の間に「ドイツ観念論の中心概念」あるいは「用語解説」とでも題する一節をおくのはどうでしょう。以下強引にふたつにわけてみます。全部いれるのはたぶん読者に負担を強い不適切なので、5,6個に絞るのがよいかと。
はずせないもの

絶対者、神、意識/自我、意思、法、定立(setzen)

あったほうがいいもの

自然、芸術、信仰、国家、理念、概念、知的直観、弁証法

用語解説としてほしいもの

即自/対自、超越論的、自己意識、思弁、判断、仮象

……わけかたはかなり恣意的ですし、説明のしかたによってはかぶるものもあると思います。5,6個を取り上げるくらいがちょうどいいのかな、とも思います。みなさまのご意見をお伺いしたいです。--[[利用者:Aphaia|Aphaea*]] 2004年12月15日 (水) 23:59 (UTC)[返信]


概要の「一方、カントにおいても物自体は実践理性の要請であって哲学体系の中におかれており、哲学の主要な主題であること、さらにはドイツ観念論の主要な論者はカントから出発して自己の体系を構築したことを重視し、ドイツ観念論の初めにカント(のコペルニクス的転回以降)をおく論者もいる。これに対してドイツ古典主義哲学は、カントとドイツ観念論の連続性を重視し、カントを含む呼称である。」はこの論者たちが古典主義哲学なのですか?『一方〜」の前文はカントと観念論の断絶を主張し、「一方」からが連続性で、そのあとの「これに対して」も連続性の主張ですよね?hans_castorp81 2004年12月16日 (木) 12:34 (UTC)[返信]