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ノート:トーマス・ホプキンズ・ギャローデット

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アメリカ初の公立聾学校、コネティカット聾唖院を創立し、聾教育を確立した人物。隣人で医師のメーソン・コグウェルは聾の娘アリスがいたが、教育を受けられるところがなくて悩んでいた。神学校に通っていたギャローデットは帰省中、外で仲間から離れて一人で遊んでいるアリスを見かけて声をかけたが、耳が聞こえず話せないことがわかり、地面に帽子などの単語を書いて教えた。にアリスが単語を習ったことを知ったコグウェルはギャローデットに聾のこどもを指導できる方法について相談したことがきっかけで、当時聾教育が進んでいたヨーロッパに1年間の予定で教育視察をすることになった。最初はイギリスに渡ったが、視察を断られたため、フランスのパリに行き、そこで聾教育方法を研究した。1年間が経過したので、聾学校で教師をしていた聾者のローラン・クレークを伴って帰国。翌年の1817年に聾学校を設立し、校長を務めた。アリスが最初の生徒として入学。のち、アリスの同期生の一人ソフィア・フォラーと結婚、数人のこどもに恵まれた。その一人、エドワード・マイナーが、のちギャローデット大学の前身、国立聾唖大学の初代学長になる。また長男が父親の影響で神学校をでて牧師になり、初めて聾者のための教会をニューヨークに作った。

ギャローデットによるアリスへの教育について

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上野益雄によると、ギャローデットによるアリスへの教育はシカールによる手話の本によってなされたとのこと[1])。

  1. ^ 金澤貴之編「聾教育の脱構築」所載 「歴史解釈の違い」(上野益雄) P.55参照 なお、上野のこの論稿は、「聾教育問題史」(上野益雄著)第七章から転載されたものである