ノート:トクタ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

トクタとノガイの関係について、記事の内容に資料的な根拠がいささか疑わしい記述が目立つため、全面的な改訂の必要を感じます。あと、トクタはモンケ・テムル・ハンの5番目の息子ではありましたが、末子といえる者はウズベク・ハンの父である10番目の息子トゴリルチャであったので、トクタが末子であると言う文言は誤りになります。モンケ・テムルの長男であったアルグイの同母弟ではありましたが。また、イルハン朝に対する政策もモンケ・テムル時代から特に変わったようにも感じられませんので、これも訂正しなければなりません。念のために本文末に参考文献も入れた方が良いのか検討しています。(これはジョチ・ウルスの項目でも感じていますが)Haydar 2006年11月9日 (木) 19:14 (UTC)[返信]


はじめまして。最近になってWikipediaの編集を始めた者です。投稿されたのが5年近くも前なのでここを見ておられるかどうか分かりませんが、手持ちの書籍と初版の投稿者が参考にしたと思われるサイトhttp://homepage2.nifty.com/Kircheis/Retu/Human/human013.htm を見比べながら、若干加筆・修正しました。

即位の際の「末子相続~」についてはいずれの書籍にも記述は無く、該当箇所を削除して『モンゴル帝国史』に収録されていたヌワイリーとラシードゥッディーンの記録を引用したのですが、該当箇所を戻して併記した方がいいのでしょうか。イルハン朝に対する政策は書き換えました。東ローマ帝国については手持ちの本にそれらしい記述はなく、東ローマ帝国関連の書籍に該当する箇所があれば改めて追記したいと思っています。「財政面ではジョチ・ウルス初となる紙幣を発行して」 「二人の息子は父・トクタの統治政策に反対して~」については手持ちの本に記述はなく、大本のサイトを見ても出典の判別がつきません。何らかのタグを貼るべきでしょうか。ウズベクの即位について、初版では権力の移行はスムーズに行われたように読めますが、書籍に挙げられた史料を読む限り即位に際して一悶着あったようなので、改訂しました。最後になりますが、新規に追加したトデゲンの入寇については、単独で記事を立てるべきか、他の記事に記載するべきか判断がつかなかったのでこの記事に含めました。

以上です。お目汚し失礼しました。--オオミズナギドリ 2011年6月6日 (月) 14:52 (UTC)[返信]