ノート:ティファニーで朝食を (映画)

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「作品の評価」節について[編集]

私ロンドルの会話ページで始まった議論ですが、こちらで議論するのが適切だろうと思いましたので、場所をこちらに移させていただきます。それにあたってこれまでの議論の流れを理解していただくためにここまでの会話を転載させていただきます。

その部分については僕も記載した部分だけでは「評価」にそぐわないので、ご指摘の部分も含めてもっと加筆しなければならないと感じてました。削除されたことには不本意ですが、後でその削除された部分も含めて加筆させていただきます。--ロンドル会話2024年3月7日 (木) 06:12 (UTC)[返信]
確かにあとがきの文章をそのまま載せているので推敲が必要だとは考えています。ただ各ご意見については賛成しがたいところがあります。
まず「本を読む前に(中略)顔が重ねられてしまうことになる。」を削ってしまうと前後の文章・文意がつながりません。「しかしそれはそれとして(中暦)もう一度映画化してくれないものだろうか?」は映画が原作に忠実ではないということを表しているので必要です。それから「商業的にも圧倒的な成功を収めた」というのは公開時から現在に至るまでの話であり、公開時の興行成績についてのみ述べたものではないでしょう。「これは小説にとってはいささか迷惑なことであるかもしれない。」「カポーティはヘップバーンが映画に主演すると聞いて、少なからず不快感を表したと伝えられている。」「とはいえ、じゃあ今度は誰が(中略)困りますね。」を削ることのみ同意しますので、そのように編集いたします。--ロンドル会話2024年3月7日 (木) 10:57 (UTC)[返信]
村上春樹による作品の評価です。「批評家の評価であふれたものになってしまい、機能不全を起こす」ことには反対しませんが、それを理由に削除するのなら双葉十三郎による作品の評価も削除するべきですし、もっと言えば「作品の評価」節全体を削除すべきでしょう。それらすべてが「(各人の)感想や考え」なのですから(ただし「作品の評価」を記事に記載すること自体はWikipediaでは推奨されているように思いましたが)。また「当方が一部を削除しますが、いかがでしょうか?」とのことですが、どこをどう削除するのか具体的にわからないままでは賛成は致しかねます。「商業的にも圧倒的な成功を収めた。」のみを削除したいのでしたら、「映画は原作とはけっこう違った話にはなっているものの、なかなか小粋なラブ・コメディーに仕上がっていて、(中略)おかげで今となっては、本を読む前に既に映画を観ているという人が多く、主人公ホリー・ゴライトリーについ、オードリー・ヘップバーンの顔が重ねられてしまうことになる。」でしたら賛成いたします。--ロンドル会話2024年3月7日 (木) 14:23 (UTC)[返信]

(インデント戻し)直接的な引用ではなく、文章として推敲し直したものを作成しました。ただ、よくよく考えるともはや私の会話ページで議論すべき内容ではなく、当該記事のノートページで行う議論であると考えますので、ノート:ティファニーで朝食を (映画)に記載します。また議論の流れをわかりやすくするため、ここまでの議論全てをノート:ティファニーで朝食を (映画)に転載させていただきます。--ロンドル会話2024年3月8日 (金) 11:42 (UTC)[返信]

(以上転載)--ロンドル会話2024年3月8日 (金) 11:47 (UTC)[返信]

直接的な引用ではなく、文章として推敲し直しました。
「原作小説を翻訳した小説家の村上春樹はあとがきにおいて、映画に主演したオードリー・ヘップバーンやジョージ・ペパードの個性やイメージが原作のホリー・ゴライトリーや語り手の「僕」とはかなり異なっているため、映画のストーリーは原作とはかなり違うものになっていることを指摘している。映画は映画として面白かったことを認めつつ、それはそれとして誰かがこの原作にできるだけ忠実にもう一度映画化してくれないものだろうか?とも書いている。」
いかがでしょうか?--ロンドル会話2024年3月8日 (金) 11:50 (UTC)[返信]

2024年4月23日 (火) 01:18にL'eventail de Jeanne会話)により「意図と違う無断転載」という理由で一部削除。--ロンドル会話2024年4月23日 (火) 14:25 (UTC)[返信]