ノート:チャールズ・テイズ・ラッセル

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中立的観点その他[編集]

  • 本文に( )でコメントを挟み込んだ文面は読みにくい。しかも「不正確さ」の反論として、新世界訳の注釈をそのまま持ってくる等おおよそ中立的とは言いがたい。「ものみの塔協会設立」の節にあるコメントに至っては、普通に訂正するか、ノートで問題提起すべきところを言いたい文句を直接本文に書き込んだものと言えます。項目そのものにも出典・参

照が少ないという問題を抱えています。--波定 2009年11月2日 (月)

  •  wikipediaにエホバの崇拝を荒らしみたいに、わけの分からないことを書いたのはお詫びします。これから価値のあることを書こうと思います。 伊藤2010年1月8日PM9:30
  • wikipedia本部からの注意があり、直したところは直しました。出典参照はものみの塔協会の記述をそのまま記しました。自分の解釈見方はありませんように記しました。まだ問題があるというならば、出典の人に(資料を書いた人に)聞いてください。たぶん問題は無いと思います。あしからず。--222.144.7.31 2010年1月13日 (水) 09:47 (UTC)伊藤[返信]
  • wikipediaにラッセルの説明がものみの塔の本部からないということは(日本語版だけかもしれないのは、)忙しいのかも知れず、自分たちの出版物を見てくれ、ということかもしれない。websightに書かない。という(自分でもそのような説明を受けている。)協会の方針かもしれない。何故かと思うと、この世の論争に関与したくないかもしれないからだ。世の中では、自分たちの出版物(ふれ告げる人)が勧められているのが、唯一あると今まで、会衆で教えられていたことを記憶に思われるからだ。websightはあまり見てはいけないと言われている。それで新世界訳が勧められているし、ものみの塔が勧められて、websightは背教者が書いているかも知れずそのようなことに長時間かかわってはいけない、と勧められていると、記憶にそれだけしかないからだ。自分のような者も実際は不活発だ。(告白すると。)だから不良信者が多くwebsightに看られるのだ。自分も最近は、宣教に出ようと欲しているが、事情もある。仕事もしなければならない。協会も仕事を許している。様だ。世俗の仕事は、自分の家族を省みないものは、信仰を持たないものより悪いとしていることを協会も知っていて慎重な様子だ。まあそのような状況で、websightに係わらなくて、宣教に出よ、そうすれば、websightに係わる頻度も自動的に少なくなるはずだ、と聖霊が言っているようだ。まあそんなところで。伊藤--222.145.10.25 2010年2月1日 (月) 10:26 (UTC)[返信]
  • 宣教に忙しくしていればパソコンなどもする暇などないだろうと言うのが協会による決定かもしれない。それで自分を無にして聖霊に導かれることが良いことだと思う。伊藤--222.145.10.25 2010年2月1日 (月) 11:38 (UTC)--222.145.10.25 2010年2月1日 (月) 11:38 (UTC)[返信]