ノート:ジョン・ダニエル・ハーツ・シニア

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記事作成に際してのメモ[編集]

本記事はベースを英語版からの翻訳によっています。

英語版では出自について、オーストリア系、ハンガリー系、スロバキア系、ユダヤ系、どれを採るのかで議論が起きているようです。私はそこにあまり関心がないので深くは読んでいません。要は「当時はオーストリア・ハンガリー二重帝国の領内で、現在はチェコスロバキアの分裂後のスロバキア」という場所から19世紀に移民してきた人は何系というんだ?って話のようです。これにユダヤ系の話が組み合わさって話がややこしい。私としては「アメリカ人」でよいのでは、と思います。

名前のカタカナについて、競馬の文脈では「ヘルツ」と書くものが散見されます。でも「ハーツ」もあり、本業の自動車業界では「ハーツ」のようだし、アメリカ風の「ハーツ」に統一しました。

記事は全体的に出典を欠く部分が多く、あまり上質ではありません。

伝記記事の情報源としては重要視できないだろうと思いますが、1970年代の日本中央競馬会の刊行物では、本記事よりもずっと、この人物の経歴について詳らかです。いくつかメモしておきます。

  • オーストリア移民。
  • アメリカに移民後、10歳で家出した。
  • 最初の職は新聞輸送車の運転手である。
  • 次に新聞社の給仕になった。
  • 次にスポーツ記者になり、競馬にかかわるようになった。
  • 自動車のセールスマンで蓄財。
  • 映画業界に進出。
  • 大戦中は米軍の輸送部門に協力して大きな貢献。
  • アーリントン競馬場をマフィアから解放。
  • 競馬事業は妻に一任していた。

英語版も断片的なニュース情報源(当時の新聞のネット閲覧)に偏りが大きく、俯瞰的情報源を欠いています。伝記本があると書かれているけど出典がなく、アマゾンあたりでもその文献が見当たらない。いまアマゾンでサクッと検索すると、自費出版らしき怪しいのがヒットするだけ。イエローキャブ社での経歴からは実業家としての俯瞰的情報y源がありそうなものですが、イージーには見当たりません。--柒月例祭会話2023年2月12日 (日) 15:00 (UTC)[返信]

  • あと、記事には多くの企業名が出てきますが、その和訳はいずれも暫定的な意訳であり、日本語文献での用例多数みたいなものではないです。たとえばYellow Coach Manufacturing Company→「イエローコーチマニュファクチュアリング」だとわかりにくいと思い、「乗合バス製造」とかってしています。Hertz Drive-Ur-Self Corporationも「ハーツ・ドライブ・ユア・セルフ」とかでなく「ハーツレンタカー」みたいにしちゃってます。
  • 記事中、厩舎に火炎瓶が投げ込まれて馬が死んだというくだりがあります。これは正直、状況がよくわかりませんでした(そもそも出典がない)。ここでいう「馬」「厩舎」は、競馬用の牧場にいた競走馬のことなのか。それとも「coach」は英和辞書的な古義では「4人乗り馬車」なので、バスの前に馬車を使ったのか。(1920年代の都市部でそれはないと思うし、ほかに社名に「Motor Coach」とか「Motor Fuel」とかあるのだから、まあバスだと思いますけど。--柒月例祭会話2023年2月12日 (日) 15:19 (UTC)[返信]