ノート:ジェームズ・ボンド (架空の人物)

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ジェームズ・ボンドのサイズが大きくなったため、また他国語版においても作品と登場人物が分割されている(本項のサイドバーのリンク参照)ので、分割提案に反対がなかったため分割しました。Freedonian 2007年3月18日 (日) 04:59 (UTC)[返信]


履歴継承にあたりミスがあったことを謝罪します。この項目にポストした内容をいったんローカルに保存しました。また、ジェームズ・ボンドもとりあえずローカルに保存し、作業開始前の状態に復旧したいと思います。削除依頼には従います。Freedonian 2007年3月18日 (日) 05:05 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

提案・議論はCategory‐ノート:007で行っています。ご参加よろしくお願い致します。--bcjp 2007年4月18日 (水) 01:06 (UTC)[返信]

表記揺れ[編集]

スメルシュとスメルシの両方が記事の中にみられますが、作品中ではどれが使われていたのでしょうか。(字幕、吹替え、小説のいずれなのかもお願いします。)Freedonian 2007年5月7日 (月) 07:13 (UTC)[返信]

井上一夫訳の小説と、『007 カジノ・ロワイヤル (1967年の映画)』の吹き替えでは、スメルシュですね。それに統一しておきます。--Rollin 2007年6月1日 (金) 01:23 (UTC)[返信]

小説版、映画版[編集]

小説版と映画版のボンドの情報がごっちゃになっている箇所がありますが、両方載せるなら、思い切って大見出しで両者を明確に分けたらどうでしょうか。「原作小説に準拠する」と明確に書かれているプロフィールの項にさえ、映画版の情報が書かれていたりしますので。--Rollin 2007年6月1日 (金) 01:30 (UTC)[返信]

この記事、パクリでは?[編集]

「年表」についてなんですけど、かつてのサントラ・アナログLPに付いていた解説書の武田一男氏による「ジェームズ・ボンドの生い立ち」の(多少の編集はあるものの)ほとんどコピーだと思いますが…。

ご参考までに私の所有する2枚組LP『最新決定版!007』(キングレコードGXC9037~8、1978年発売)の解説書中の最初の記述を紹介します。

「1922年2月1日=スコットランドの高地地方に生れる。父、アンドリュー・ボンドはアーガイルのグレンコー出身、スコットランド人。母、モンク・ドラクロアはスイスのヴォー州の名家の出。(註1)

註1=ボンドの生年月日については諸説あって意見がわかれる。ジョン・ピアーソンは1920年と考証しているし、「007は二度死ぬ」で、タイガー・田中がボンドを“ネズミ年”といっていることから割り出せば、1924年となる。この年表では、ロンドン・タイムズに載ったボンドの死亡記事の「1941年になると、19歳になったボンドは……」の一節から、1922年とした。」

以下、「参考にした」というには苦しい「まんま」な記述が続いています。ついでに言うと、この武田氏作成の年表も1964年10月で終わっています。

結構なボンド・マニアが投稿していると思われるのにこのことについての指摘がないのも、著作権に厳しいウィキペディアがこれを放置しているのも解せませんな。武田氏かキングレコードに許可をもらっているのでしたらそれを明記した方がよくないですか。--以上の署名のないコメントは、61.192.245.10会話/Whois)さんが 2009年6月2日 (火) 09:45 (UTC) に投稿したものです(--Rollin 2009年8月6日 (木) 07:09 (UTC)による付記)。[返信]

調べてみたところ、東宝株式会社より昭和52年12月10日発行の『007 私を愛したスパイ』劇場用パンフレットにも武田一男氏作成の「ボンドの生い立ち」があり、本稿年表とほぼ同じであることを確認しました。どちらを元にしたのか分かりませんが、著作権侵害であることは明らかと思われますので、削除依頼を提出します。--Rollin 2009年8月6日 (木) 07:09 (UTC)[返信]
その後判明したことを書いておきます。
  • 本記事「ジェームズ・ボンド (架空の人物)」は、「ジェームズ・ボンド」の2007年4月7日 (土) 03:50 (UTC) 時点における版を分割したものであり、初版から問題の年表が載っている。
  • 「ジェームズ・ボンド」における年表は、122.18.114.207さんによる2006年12月12日 (火) 08:53 (UTC) 時点における版で付け加えられた。この時点では1922年2月1日から1953年8月までしか書かれていないが、武田一男氏が作成したものの該当部分とほとんど一致している(劇場用パンフレット版でいうと、1939年の記述がまるまる抜けていたりはするが、そうした以外はほぼ一字一句同一の文章である)。[返信]
  • その後、101designさんによる2006年12月28日 (木) 01:15 (UTC)時点における版 で1953年9月から1964年10月までが付け加えられたが、これも武田一男氏の作成したものの該当部分とほぼ一致している[返信]
  • 劇場用パンフレット版の末尾には、「イアン・フレミング、キングスリー・エイミス、シェルダン・レーン、ジョン・ピアーソン諸氏(井上一夫訳)を参考に作成」と書かれ、武田一男氏の名が明記されている。従って、この年表(「ボンドの生い立ち」)に武田一男氏の著作性があることは明らかと思われ、武田一男氏の名前を書かず、なおかつほぼ丸写しに近い状態は、引用の範囲も逸脱していると考えられる。(なお、1962年8月に、原潜事件究明云々『私を愛したスパイ』という記述があるが、1962年は小説『私を愛したスパイ』の出版された年だが、原潜事件が起きるのは1977年公開の映画『007 私を愛したスパイ』であって、小説の内容はそれとは全く異なっている。武田一男氏の年表が載っているのが、この映画の劇場用パンフレットおよびその翌年発売のレコードであるため、わざと映画に準じた記述をしたものと推察される。もし、別人が(特に最近になって)小説の記述から年表を作ったとしても、このような内容になることはありえないだろう)
ということで、現物を見れば写したのはまず間違いないと納得できると思いますが、なにしろ30年以上前のレコード解説や映画のパンフレットなので、今から入手・閲覧するのは非常に困難でしょう。削除依頼を出したものの、サイトからのコピペと違って、確認が取れるのはいつになるのか見当もつきません。直接の証拠にはなりませんが、参考にはなるサイト(ブログ)を見つけましたので、これも挙げておきます。
この方は参考文献として武田一男氏の「ジェームズ・ボンド・レポート」を挙げていらっしゃいます。ブログを見ると、おそらくレコード解説や劇場用パンフレットと同じ内容のものだったのではないかと思われます(中山氏は丸写しはしていらっしゃいませんし、ご自身の解説も加えていらっしゃいます)。武田一男氏が作成したジェームズ・ボンドの年表のようなものがあったことを伺わせる参考にはなるでしょう。
武田一男氏がどういう活動をされていたか、片鱗が伺えます。
以上、削除依頼の補足として。--Rollin 2009年8月7日 (金) 17:18 (UTC)[返信]
もう一つ補足。利用者‐会話:101designに事情説明をお願いしてみました。122.18.114.207さんは2回の投稿記録しかありませんが、101designさんは、今年の6月にも編集されていらっしゃいますので。ただ、ごく稀にしかご活動されないようなので、すぐ気づいていただけるかどうか……。--Rollin 2009年8月7日 (金) 19:10 (UTC)[返信]