ノート:シベリア出兵

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出兵の名目はチェコの捕虜がらみじゃなかったっけ? もちろん、干渉が主目的だけど。0null0 17:01 2003年12月3日 (UTC)

露国援助宣言は大体次の通り。当時の言葉は分かりやすく直している。

帝国政府は、ロシア並びロシア国民に対する旧来の隣誼を重んじ速やかにロシアの秩序を快復して健全なる発達を遂げることを衷心切望して止まない所である。 しかるに、近時ロシアの政情は著しく混乱に陥り、また外迫を防御する力もなく、それに乗じて東欧諸国は圧迫を加える事甚だしく、その威圧は遠く極東露領に浸透し、現にチェコスロヴァキア軍の東進を阻害しその軍隊中には多数のドイツ・オーストリアの捕虜混入し、実際においてその指揮権を掌握している。 なお、チェコスロヴァキア軍は建国の宿志を抱き、終始連合列強と共同対敵するものであるため、その安危の繋がるところは延て興国に影響する事は少なくなく、これは連合列強及び合衆国政府が同軍に対し多大の同情を寄興する理由である。

今や連合列強は同軍がシベリア方面においてドイツ・オーストリア捕虜の為、著しく迫害に被るの報に接し、空しく拱手傍観することは出来ず業に巳にその兵員を浦潮に派遣した。合衆国政府もまた同じくその危急を認め、帝国政府に提議して、まず速やかに救援の軍隊を派遣することにした。これにおいて帝国政府は合衆国政府の提議に応じてその友好に酬いただ今次の派兵において連合列強に対し歩武をまっとうして覆信の実を挙げる為速やかに軍旅を整備しまずこれを浦潮に派遣することにする。

叙上の処置を取るにあたり、帝国政府は一意ロシア及びロシア国民と恒久の友好関係を更新することを希図するのであり、常に同国の領土保全を尊重し、併せてその国内政策に干渉せざるの規定主義を声明すると共に、所期の目的を達成するにおいては政治的または軍事的にその主権を侵害することなく速やかに撤兵すべきことをここに宣言する。 大正7年8月2日 内閣総理大臣 伯爵 寺内正毅 --114.185.120.66 2012年4月5日 (木) 14:30 (UTC)[返信]

「協商」と「同盟」が逆転しているのでは?[編集]

「ドイツ帝国・オーストリア・ハンガリー帝国などの協商」の部分は「ドイツ帝国・オーストリア・ハンガリー帝国の三国同盟」であり、協商はイギリス-フランス-ロシア側だと思います。

記事の内容が偏っていることについて[編集]

シベリア出兵の記事を見ましたが、一方的視点による評価ばかりが記載されていたり、日本軍による様々な「残虐行為」を、百科事典としての必要以上に強調し、その詳細を書く一方、ソ連など相手の側の残虐行為についてや、戦争の経過や戦争の目的などの記述は少なくなっているなど、全体的に偏っています。そのため、タグを貼っておきます。--Race 2011年2月14日 (月) 16:38 (UTC)[返信]

確かにパルチザンの攻撃客観的に淡々と記載する一方で、日本軍の行動は全て虐殺だとか仰々しく反日的に記載されていますね。恣意的な記載であることは間違いないと思いますし、一部独自研究や~だろうと言った記載が目立ちます。WIKI上では両者に対し客観的記述にするべきですね。--2012年5月11日 (金) 21:38 (UTC)

記事の強化とタグの除去[編集]

  • 「要出典」だった箇所の出典を明示あるいは出典を参考にして同趣旨の内容に置き換えたので、今は「要出典」箇所がひとつも無い。
  • 記事を検索しても「だろう」という文字列が無い。
  • 戦争目的や経過も出典から詳しく書かれている。
  • 残虐行為があった事は検証可能な歴史的事実であり、出典通りに書いている以上、必要以上に強調という事は無い。
  • ソ連側の残虐行為ならば尼港事件の節があるし、関連のセクションにある尼港事件にはさらに詳しく書かれているので、こちらも併せれば十分な内容が書かれている。

脚注が現時点で24も存在し、記事として出典は多い部類ですから、「中立的な観点」「検証が求められています」「広告宣伝活動のような記述内容」「正確さに疑問」のタグは削除しました。--210.253.248.129 2012年9月16日 (日) 17:34 (UTC)[返信]

Kashichan氏による転記をリバートした件について[編集]

Kashichan氏のこの編集[1]は、 ノート:第一次世界大戦に記してあるように、転記の告知を行なわずに「特に異論もない」と編集を独断強行したものです。よってrvしました。ルールを守って行なって下さい。議論はノート:第一次世界大戦で行なって下さい。--119.83.111.72 2013年7月15日 (月) 11:55 (UTC)[返信]