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ノート:ザ・レイプ・オブ・南京/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

 The Rape of Nanking に対しては、アメリカ国内においても、様々な批判があります。英語版のwikipediaでは、日本語版よりも詳細に本書への批判が掲載されています。自分の見解にとって都合の悪い編集を消去するのではなく、協力しあって情報を充実させ、すくなくとも英語版を超える客観性を担保すべきと考えますが、いかがでしょうか?

--Super11 2008年5月30日 (金) 17:19 (UTC) Super11

協力しあって情報を充実させるべきですね。Sfwuさんの改変はこちらで戻しておきました。Polisan 2008年5月31日 (土) 07:14 (UTC)

未回答部分の再編集について

「反駁主張の具体的内容が皆無(リンク先にも無い)なのでこれで十分、ある意味読者を著書購入に導こうとする記述手法で宣伝的と判断」 (2008年5月26日 (月) 21:07 Lape of jp さん)の意見に未回答なままでの再編集を一旦差し戻しました。「たとえば~」以下、1「原文の読み違い」、2「ケリーの読み違い」、3「写真捏造説の誤り」が具体的にどのようなものかが理解できません。原文をノートで引用いただいて、理解できる内容文を協力しあって推敲し本文に情報を載せれればと思います。Polisan 2008年5月31日 (土) 07:14 (UTC)

孫引きの記事や出典不明の記事を延々と書くことについて

協力し合ってよいものを作るというのは、良いのですが、単に体力で信頼できない憶測の情報を際限なく羅列したり、勝手に事実として確認されている引用を削除するようなマナー違反を繰り返す人がいたのでは、協力関係はなりたちません。 「ある意味読者を著書購入に導こうとする記述手法で宣伝的と判断」 などということを臆面もなく書いて、おかしな改変をする人がいますが、著書を買いたくなければ、図書館でかりるなど、いくらも方法があるで しょう。この記事で、他の著書を完全に引用することは到底できないでしょう。すべての著書がWebで公開されているはずもありません。 どうしても、引用先に指定されている出典を読みたくない人は、読まなければいいのですが、そのような人がここで記事を変える必要もないのではありませんか。あえて言わせてもらえば、その資格もないでしょう。

--Sfwu 2008/6/1 10:31(JST)

横から失礼します。拝見するとSfwuさんの編集も「しかし、アジアの取材旅行による記述はこの本の全部ではなく、このような見方はこの本の著述経過を正しく評価したものではない。」など独自意見が差し込まれてあったり、少し偏向しているかな、という気がします。とにかく慌てて編集することはありません。その結果は編集合戦→保護になるだけで無意味です。こちらでしっかり細かく「ここはこうしよう」と密に話し合ってはいかがでしょうか?そして一つづつ合意を得て本文をいじっていきましょうよ。また、「協力できない」と言う時点でwikipediaで編集する資格はなくなります。常に協力して何とか編集していこうとする姿勢がまず必要でしょう。とにかく慌てずに、細かく話して合意を得ていきましょうよ。--Tyoron 2008年6月1日 (日) 01:47 (UTC)

「孫引きの記事や出典不明の記事を延々と書くことについて」に関して

Sfwuさんが消去した部分の中で、どの部分が「孫引きの記事や出典不明の記事を延々と書くこと」に該当するのかノートでご指摘いただきたいと思います。このままでは編集合戦になってしまいます。また、Polisanさんの質問にもお答えいただきたいと思います。英語版、韓国語版の本項目における情報量は日本語版を超えています。両版の情報量に匹敵する日本語版を作りたいというのが私の思いです。 --Super11 2008年6月1日 (日) 04:04 (UTC)

Super11さん落ち着いた対応ありがとうございます。1週間お待ちしても反対しておられるSfwuさんから回答がない場合は、リバートさせていただくことにしましょう。Sfwuさんの具体的な指摘をお待ちしております。--Tyoron 2008年6月1日 (日) 05:05 (UTC)

調停ありがとうございます。未回答部分の差し戻しやそれまで推敲で積み上げてこられた編集を消去したSfwuさんが対話の場に参加するきっかけができましたので、ご提案に賛成し回答を待ちたいと思います。対話の無いところでは差し戻しの理由も意味も理解できませんし編集合戦が続くだけですから。Polisan 2008年6月1日 (日) 09:12 (UTC)

こんにちは、 すでに、書き直されていると思って覗いてみましたが、討論をするという姿勢が保たれており、うれしく思います。ご質問の件については、時間をとって、回答しますので、数日(最大で)間、時間をください。良識的な対応に、Wikⅰに関する認識を改めました。

--Sfwu 2008/6/2 15:40(JST)

ご質問へ私の回答

花蝶風月雪月花警部さんらと少しずつ編集を改善しようとしているときに、突然、大きく改変され、ほとんど手がつけられなくなったと感じたので、元の状態に戻しました。その状態から、改善を行うべきと思ったからです。どのように手がつけられないと思ったかを、ざっとまとめました。読んでいただき、感想、反論などをお願いします。

なお、はじめに書いておきますが、Tyoronさんご指摘の

「しかし、アジアの取材旅行による記述はこの本の全部ではなく、このような見方はこの本の著述経過を正しく評価したものではない。」

の部分は、アジア取材旅行に基づく記述はこの本のすべてではないことは事実で、私の意見を超えたものです。浜田和幸の一方的な見解をそのまま書かれましたが、勝手に削除することができないので、中和するために、その見解の一部または全部を覆す事実を指摘したのです。


感想は、ここからです。


>概要

>>主に関係者へのインタビューや写真などで構成されている英語の著書である。

この記述は正しくない。写真やインタビューもあるが、文献の引用、要約などがそれ以上にあり、また事件に対する著者の見解を述べている。1937年の大虐殺事件を取り上げるとともに、それが戦後、忘却され、隠蔽されてきたという事情を具体例を挙げて紹介し、それについての自分の見解、その状況を克服するための提案を行っている。

>>この本は、「日本軍が数週間の間に一般市民約26万人から35万人を惨忍な方法で虐殺し、女性2万人から8万人を強姦した」とする著者の見解を著しており

これについては、著者は原注で出典を示している。この部分だけをこのように書くと、この本の主要なテーマが、人数の問題であるかのような印象を与えるので、不正確。

梗概は著書全体を見通して、その概要を書くべきで、後の記述とのバランスに欠け、記述を理解しにくくしている。

>調査

>>さらに中国取材旅行では、台湾の財団法人「太平洋文化基金会」の旅費負担の援助のもと、中国社会科学院歴史研究所・南京大虐殺紀念館などから協力を得て資料収集、事件の生存者へのインタビューをおこなっている。

謝辞に、旅費を「太平洋文化基金会」に負担してもらったと書いているが、どの程度負担してもらったのかは不明。ポーラ・カーメンの弔辞と合わせてみれば、基本的に取材費用は自己負担していたが、一部、団体の援助を受けたとも見られる。どのような研究者でも、研究を完成させるためには、さまざまな団体の援助を受けるものであり、それがこの本の性格を決定するような援助であるのでなければ、このような記述は不適当。どうしてもこれを書きたいのならば、その意味も書くべき。

>>この日記は『人民日報』の中国人記者と相談して公開を決めたとされる。

出典がないが、秦郁彦の1998年4月の「諸君」の論文に、秦の伝聞として以下の記述。

「『人民日報』の中国人記者と相談して決めたとされる」

秦の論文にもその出典がない。その出典のない一節を、出典も書かずにそのまま書いているのは、孫引きとしか言いようがないし、信憑性も定かでない。

>反響

>アメリカ合衆国

>>一方で、本書の内容ついて「情熱は買うが歴史書としては不適切」、「中共も同じ事をチベットでやった」などの批判

秦の「諸君」の論文では、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、Amazon.comなどで、この本が「絶賛」されているばかりで、例外として、上記のような「チクリ付言」が、「一、二」あったと書いている。だから、この引用は、もとの文献の意味を勝手に書き換えている。

>>また、当時の斉藤邦彦駐米大使も「不正確で一方的な見解だ」と批判をおこなった[11]。

これは、アメリカの反応ではなく、日本または日本政府の反応とすべき。

>脚注

>>1 例として「生きたまま穴に埋める」、「性器を切り取る」、「臓器を切り裂く」、「火あぶりにする」、「鉄のフックを使って舌の部分で人をつるす」、「腰まで人を埋めて猟犬がその体を引き裂くのを見物する」などの行為が挙げられている。さらに女性の「臓器を取り出し」、「胸を切り取り」、「生きたまま壁に釘で打ちつける」などの行為を行ったとする。また、他の家族が見ているところで、父親に娘の強姦を強要し、息子に母親の強姦を強要する行為もあったとする(『The Rape of Nanking』6ページ)。これらについて歴史学者の秦郁彦は「中世の魔女裁判も顔負けのこの劇画的シーンを彼女がどこから仕入れたのか、注を引いてみると、簡単に「著者による生き残りからのインタビュー」としか書いていない。」としている。秦郁彦 文藝春秋「諸君!」

秦の見解をそのまま紹介していて引用者の批判的な判断が皆無。孫引きというべき。秦は序文に書いてある南京大虐殺の要約的な紹介だけを取り上げて、出典が示されていないと書くが、実際には、「第4章 六週間の恐怖(Six Weeks of Horror)」の「拷問」、「強姦」の節(原書pp.87-89、翻訳書pp.106-121)で、これらの行為について詳しく紹介しており、これは原注に細かく出典が示されている。だから、出典がないという秦の記述は不正確か、印象操作的。

>>4. ...。浜田和幸のように「反日団体から資金援助を受け、中国の意向に従った取材であると批判する人もいる。

浜田の「『ザ・レイプ・オブ・南京』中国の陰謀を見た」(文芸春秋98年8月)の記事を無批判に孫引きしているが、実際の記事の内容とも一致しない。浜田の体験談はすべて匿名で、信頼できる情報は皆無だが、確認できない「反日」団体の集会で、名前のない「中国人」の「証言」で、アイリス・チャンが「中国政府が裏で糸を引く組織」と知らずに、協力を受けたなどと語らせている。浜田の記事は、全体に信頼の置けない断定と伝聞しかないが、アイリス・チャンが「反日団体から資金援助を受け、中国の意向に従った取材」をしたとは書いていない。むしろ、それと知らずに利用されたのだと匂わせている。この引用は、出典すら反映していない。

>>4. ...。しかし『ザ・レイプ・オブ・南京』の謝辞でチャン本人がアジアへの取材旅行(中国と台湾)の旅費を台湾の財団法人「太平洋文化基金会」が負担してくれたことに感謝の言を述べている事と明らかに矛盾している

アイリス・チャンは基本的に自費で取材し、一部、援助を受けたと考えれば、明らかには、矛盾していない。

>>^10 主な批判としては、ヨーク大学(カナダ)のジョシュア・A・フォーゲル、サンフランシスコ・クロニクルのチャールズ・バレス、セントオラフ大学のロバート・エンテンマン、スタンフォード大学のデイビッド・M・ケネディ、ワシントンアンドリー大学のロジャー・B・ジーンズ、ハーバード大学のエズラ・ヴォーゲルの各氏によるものがある。

フォーゲル、バレスについては、反批判があるが、その他の人々の批判の内容、彼らの社会的な地位を書くべき。少なくとも具体的な文献を指定するべき。

>>^17 国際政治学者の浜田和幸は、チャンは執筆に当たり中国政府や在米・香港・台湾の“反日”団体から支援を受けていたとしている 浜田和幸 (1998年9月). “「ザ・レイプ・オブ・南京」中国の陰謀を見た”. 文藝春秋

1.この注記はダブっている。

2.「反日」団体というのは誰がどのように判定するのか。

3.日本が第二次世界大戦の戦争犯罪を公式に認め、謝罪し、補償することにより、この負の歴史を克服できると考えている人は、アイリス・チャンもその一人だったと思うが、彼女だけではない。そういう考え方をすべて、反日というのか。

4.反日という概念が不確定なのに、このような紹介は不適切。

>>^19 巫召鴻『「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む』では、この書の誤りと主張されている多くの点が、主張する側の理解不足による誤った判断であると指摘している

これについて、出典を求められたので、具体的な記事を紹介したら、内容を読んでいないので意味がないという指摘あり。不適切な指摘。


Sfwuの記事はここまで

--Sfwu 2008/6/2 22:15(JST)

  • (コメント)アジア取材旅行に基づく記述はこの本のすべてではないことは事実で、私の意見を超えたものです。浜田和幸の一方的な見解をそのまま書かれましたが、勝手に削除することができないので、中和するために、その見解の一部または全部を覆す事実を指摘したのです。とのことですが、浜田和幸が意見を述べていることは事実であり、出典も出てますので、それに反論するには、Sfwuさんの反論・見解ではなく、反証(出典)を出した上で「しかし、アジアの取材旅行による記述はこの本の全部ではなく、このような見方はこの本の著述経過を正しく評価したものではない。」が記載できます。このように言っている人がいないのならば、記載はできません。編集者が「それは事実だ!」と思って意見・見解を書いてしまうと、それは独自研究となってしまいます。ですから対象部分は除去が良いと思います。他の部分については他の方の意見・反論を待ちたいと思います。--Tyoron 2008年6月2日 (月) 14:20 (UTC)


反論

-- Tyoronさん、コメントありがとうございます。

ところで、そもそも、浜田の文芸春秋の記事には、アイリス・チャンが中国政府の意向を受けて、本を書いたというような記述は見当たりません。「浜田和幸が意見を述べていることは事実だ」ということですが、どのような意見をどこで述べているのか、正確に引用されているのでしょうか。出典を示し、引用してくれませんか。

なお、アジア旅行の取材がこの本のすべてか、すべてではないのかは、この本を読めば分かることであり、他人の評論を探す必要はありません。アジア旅行の取材結果に関する記述がこの本の内容のすべてであるというのならば、それを具体的に立証すべきでしょう。あるいは、Tyoronさんは、対象になっている本は読まないで、他人の評論だけを並べるのが、この本の解説になると考えているのでしょうか。お返事をお待ちしています。

--Sfwu 2008年6月2日(月)23:36(JST)

アイリス・チャンが中国政府の意向を受けて、本を書いたというような記述は見当たりません。
文芸春秋の記事では「(チャンを支援した)「太平洋文化財団」は、中国の諜報機関が関与していると言われている」「チャンに資料提供を行い、講演会を企画している2つの団体は確かに、中国政府から資金提供を受けていることが確認された。」「中国当局の隠れた支援もあった」など記載されていますが、「中国の意向に従った取材である」と浜田が主張している、という現在の要約表現で問題ないのではないでしょうか?もしなんでしたら、完全な引用の形で、より詳細に記載しても良いとは思いますが。また、もう一つ申しますと、浜田の論の中身が「事実かどうか」は私たち編集者が判断する必要はありません。彼がその述べているという「事実」のみ記載すれば良いだけのことです。
アジア旅行の取材がこの本のすべてか、すべてではないのかは、この本を読めば分かることであり、他人の評論を探す必要はありません。
残念ながら(公の出版物などの)他人の評価が必要です。「この本を読めばわかる」というのは編集者の主観でしかなく、ある人はもしかしたら「アジア旅行の取材がすべてだったな」と思う人もいるかもしれません。それはわかりませんよね。執筆者の判断は必要ない、というのがwikipediaです。
アジア旅行の取材結果に関する記述がこの本の内容のすべてであるというのならばそれを具体的に立証すべき。
「アジア旅行の取材結果に関する記述がこの本の内容のすべてである」とどなたが本文に記載したのでしょう?出典は記載する側に責任がありますから、誰も記載していないことの立証責任はないと思います。立証責任があるのは、「アジア旅行がすべてでなく~」という意見を書いたSfwuさんの方にあります。編集者の意見はいりません。
他人の評論だけを並べるのが、この本の解説になると考えているのでしょうか。
「編集者の評論を記載してはならない」それがwikipediaの方針です。ですから評論を書く場合は、他人の評論(公の人物の評論等)だけを出典を出して記載していけば良いだけのことです。
以上、いかがでしょうか?
また、多くの出典付き記述を除去され[1]、その理由を上記にお書きになってくださいましたが、ほとんど「不正確だ」「印象操作的だ」というSfwuさんの独自判断が多いように思っています。その部分については今後一つ一つ議論していきましょう。

--Tyoron 2008年6月2日 (月) 16:22 (UTC)



Super11より、Sfwuさんへの反論および回答

1) 概要について

「>>この本は、「日本軍が数週間の間に一般市民約26万人から35万人を惨忍な方法で虐殺し、女性2万人から8万人を強姦した」とする著者の見解を著しておりこれについては、著者は原注で出典を示している。この部分だけをこのように書くと、この本の主要なテーマが、人数の問題であるかのような印象を与えるので、不正確。」とのご主張です。

 しかし、少なくとも、この本の主要なテーマの一つは人数の問題ではないでしょうか。

 ご指摘いただいた部分については『The Rape of Nanking(以下原書と呼ぶ)6ページに「我々が、もっとも控えめな数字である26万を使おうと、もっとも多い数字である35万を使おうと、南京の死者が、東京へのアメリカの攻撃、あるいは、1945年の終わりまでの広島・長崎の2つの原爆投下の合計の死者さえもはるかに超えていたということを考えると衝撃を受ける。」とあります。    この他にも、原書5ページから6ページにかけて「しかし、その戦争における最悪の空襲でさえも南京での破壊を超えてはいなかった。ドレスデンへのイギリスの攻撃とそれに続く火災よりも多くの人々が南京で亡くなったであろう。」と記載されています。     さらに、原書裏表紙には「数週間の間に30万の中国の民間人と兵士が組織的にレイプされ、拷問を受け、殺害された。死者数は広島・長崎の原爆の死者を超えている」と記載されています。

2) 脚注1について

 脚注1の前半部(The Rape of Nanking の序文の引用)は、私が原書より和訳したものです。秦氏の見解の引用は私の記述ではありませんが、この引用自体には賛成です。よって、脚注1の部分全体についてSfwuさんの主張に反論いたします。

「秦の見解をそのまま紹介していて引用者の批判的な判断が皆無。孫引きというべき。」とのご主張について

 ①秦氏の見解をそのままとりあげることがなぜいけないのか私には理解できません。詳しくご教示ください。なお、私は、秦氏の見解を取り上げた上で、それに対する批判もまた(もちろん出典を明記した上で)取り上げるのが公正な態度であると思います。

 また、②Sfwuさんの主張は、「引用者の批判的な判断が皆無であると孫引きになる」と読み取ることができますが、この点も私には理解できません。「孫引き」とは、「他の書物に引用されたものを、原典にさかのぼって調べることなく、そのまま引用すること」を意味する(広辞苑)と考えれば、ご指摘の部分に孫引きは存在しないと思いますが。ぜひ、ご教示ください。

「秦は序文に書いてある南京大虐殺の要約的な紹介だけを取り上げて、(中略) 出典がないという秦の記述は不正確か、印象操作的。」とのご主張について

 序文(introduction)の当該記述を書評の中で最初に取り上げたのはニューヨークタイムズであり、秦氏ではありません。秦氏に対して「印象操作的」という批判は当たらないと考えます。    ただし、ここで重要なのは、秦氏の見解が不正確あるいは印象操作的であるかどうかを決定することではありません。あくまでも、秦氏の見解は見解として記述し、それに対する反論があればそれも記述し、両論を併記すればよいだけのことです(もちろんsfwuさんの私見ではなく、文献を引用して)。   

3) 脚注10 について

 確かに、名前の羅列に過ぎません。少しお時間を頂き、出典を明記いたします。

4) 追記

「「編集者の評論を記載してはならない」それがwikipediaの方針です。ですから評論を書く場合は、他人の評論(公の人物の評論等)だけを出典を出して記載していけば良いだけのことです。」とのTyoronさんのご発言、まったくごもっともです。論文やレポートではなく、百科事典なのですから。

--Super11 2008年6月2日 (月) 17:34 (UTC)

5) Sfwu の回答

1.Tyoronさんへ

まず、浜田和幸の文芸春秋の記事が、あなたのおっしゃるように「アイリス・チャンが中国の意向に従った取材である」と書いている部分を、正確に引用してください。要約と書きましたが、要約するということは、要約者の判断が加わります。引用でさえ、原典から正確に引用したとしても、引用した瞬間から、文責は書き手に移ります。

「編集者が判断する必要はない」というのは、いろいろな意味で、ごまかしの言葉なので、そういう詭弁は操らないようにしましょう。編集者というのは誰か別の執筆者がいてこそ編集者なのですが、wikiの記事を書く人は執筆者です。すべてが編集者では、文章はできません。

編集自体も判断の連続です。事実だけを書けばいいといっても、何が事実かが問題になっているのだから、そういう主張は無意味なものです。

私は執筆者として書いていますのが、ときに編集者になることもあります。

さて、あなたは、編集者の評論を書いてはいけないというのがwikiの方針だとまことしやかに書いていますが、これもごまかしと思います。繰り返しますが、編集すること自体が、編集者の認識を示すものです。どのような文献からどの部分をどのように引用するかということにより、編集者は自分の意見を編集作業に体現させるのです。

引用部分が正しいか、誤っているか、あるいはどちらともいえないかということは、引用者に責任を発生させる原因です。文責はあくまでも引用者側にあります。その点に関する判断が不能な場合には引用すべきではありません。

Super11さんへ

>この本の主要なテーマのひとつは死者数であるか。

私は違うと思います。アイリス・チャンは序文で次のように書いています。

「本書は、日本が南京で行った残虐で野蛮な行為の、ありのままの要約だけを提供するものである。本書の目的はこの出来事を歴史上のもっとも邪悪な行為として立証するために数量的な記録を確認することではなく、この出来事を理解することによりそこから教訓を得て、警告を発することができるようにすることである。」

この後、量の差異は質の差異を導くのだから量の多さを考えるべきだという考察が続きます。本書の主要なテーマは、人数ではありません。

>脚注1について

孫引きというのは、正確に言うと、あるテーマで論文やら、報告書やら記事などを書いているときに、そのテーマに関する考察などの参考に、何らかの文献を引用することがありますが、直接、その文献を読んで、そこから引用や紹介をするのでなく、その文献を解説している参考書のような文献を通して、その文献を紹介することですね。一般的に好ましくないと言われています。

この場合には、対象はアイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」ですから、その本を直接読まず、それに関する解説書ばかりを集めて、対象を解説した気になっているというのは、孫引きの一種であると言っていいと思います。

Super11さんが序文だけを読んで、第四章を読まずに、出典が示されていないと書いたのならば、Super11さんの対象に関する理解が不十分ないし不正確だということだと思います。

ニューヨーク・タイムズのどの号で、その部分をどのように取りあげたのか、できれば例示してもらえませんか。それとは別に、秦郁彦の諸君の論文では、ニューヨークタイムズとは無関係に自分がこの本を読んでいたら、そういう記述があって驚いたと書いていますので、ニューヨークタイムズの記事は彼に影響をあまり与えていないのではないでしょうか。

もう一度いいますが、編集者であろうと、引用した時点で、文責はその人が負うことになります。その文献が信頼性の置けない内容であることを知って引用する場合には、その旨、明記すべきであり、また、誤った文献を正しいものとして引用、紹介した場合には、その人自身が誤った主張をしたのと同じ責任を負うことになります。

また、この記事の対象は公刊されている書物であるので、それを読んでその正確を理解し判断したものを書くということは、検証不能なわけもありません。その理解や判断が正しいかどうかを、討論を通して検証し、記事を正確なものに高めていくということだと思います。

--Sfwu 2008/6/3 13:03 (UTC)

6)TyoronからSfwu氏へ回答

要約するということは、要約者の判断が加わります。

もちろんです。その要約が出典の主旨とズレた内容ならば修正しなければなりません。ポイントは、浜田和幸の文芸春秋の記事の論旨は「中国の意向を受けて取材」と語っているものなのかどうなのか、ですよね?浜田は「チャンを支援した団体は中国の諜報機関と繋がっている」「(その団体は)チャンに資料提供を行い、講演会を企画している2つの団体は確かに、中国政府から資金提供を受けていることが確認された。」と載せているので、少しも間違った要約ではないと思いますが、どこが浜田の論旨と違っていると思われているのでしょうか?より具体的に示していただけますか?そしてその上で、ではどのような引用・要約が良いと思われるか、反対者として提案をしていただいたいと思います。

私の提案としては『浜田はチャンの執筆を支援し、旅費負担や資料提供をした団体(太平洋文化財団など)は、中国と繋がる米国の反日団体や中国の政府、諜報機関と裏で繋がっている団体であり、チャンの一連の動きは中国の世界戦略策の構図の中の一つのものであると批判している』。これが一番近い表現かな、と思いますがいかがでしょう?

>編集者の評論を書いてはいけないというのがwikiの方針だとまことしやかに書いていますが、これもごまかしと思います。繰り返しますが、編集すること自体が、編集者の認識を示すものです。

なんのために私が「ごまかし」をしなければならないのか理解しかねますが、これについては、wikipediaの方針を読んでくださいとしか言えません。「Wikipedia:独自研究は載せない#何が除外されるかこの方針は編集者の個人的観点や政治的意見、また発表済みの情報の個人的分析や解釈を排除します ある本を読み、「この本は~である」とwikipedia執筆者・編集者の意見を書いてしまったら「独自研究」となってしまいます。第三者の意見・評論の出典を出して書いてください。「編集者の認識を示す」にしても、出典ある記事を要約して書くことと、出典なしで自分の意見を書くことは、まったく別のものです。--Tyoron 2008年6月3日 (火) 16:33 (UTC)

7)SfwuからTyoron氏への返事

こんばんは、 まず、Tyoronさんの浜田の記事への要約が正しいかどうかについて、なんとも答えようがないということを書いておきます。浜田の記事は、アメリカの友人に誘われて「アイリス・チャン女史の支援団体が主催するディナー・パーティー」に参加したところ、そこの気味の悪い中国人がいたという印象。そして、アイリス・チャン本人やその著作には直接のコメントを書かず、匿名の中国人の台詞としていろいろな印象操作的なことを書いています。この匿名の中国人の見解が、正しいか間違っているか、巧妙なことに彼は何も書いていません。それから、私から見れば荒唐無稽とも思える、陰謀論めいた話に発展しています。そのような陰謀の存在を彼は確認したと書いていますが、その根拠は示されていません。

ということで、私はこの記事を読んでも、具体的に彼が確実な何かを主張しているとは思いません。どのようにでも解釈できるよう、ここかしこに逃道が用意されている、とらえどころのない雑文だと思います。だから、Tyoronさんの要約は必ずしも間違っているとはいえないでしょうが、その要約が誰が行っても必然的にそうなるというようなレベルのものではないと思います。

次に、Tyoronさんの「編集者の評論を書いてはいけない」という主張ですが、その根拠を「独自研究は載せない」という言葉であるということですが、この二つの言葉は、「評論」と「研究」という用語の解釈にもよりますが、かなり異なる内容だと思います。

百科事典というのは各項目のテーマについて、読んだ人が内容を理解できるように説明する記事の集まりだから、まず、そういう記述が必要です。しかし、その記述は、そのテーマに対する執筆者の認識に基づいてしか書くことはできません。だから、基本的にはすべての記事は執筆者の認識によってかかれるものです。執筆者が自らの認識に基づいて書くものがすべて独自の研究になるわけではありません。それが独自の研究になることもあり、ならないこともあるでしょう。また、その判断が人によって異なることもあるでしょう。いずれにしろ、執筆者が対象となる本を読んで、その本はこのようなものだと書くことがすべて独自の研究だというのは、完全にもとの方針を逸脱したものだと思います。

たとえば、「ウェストサイドストリー」と言う映画の主演女優はエリザベス・テーラーだという記事があった場合、それは間違いであり実際にはナタリー・ウッドです。私はその映画を見て知っているので、それを修正しようとしたとき、映画自体を見ること以外に、それに関する文献を引用しなければならないということはありません。これは独自の研究ではないからです。

また、たとえば、ウェストサイド・ストーリーという映画は、アメリカの世界征服の陰謀のための映画だという有名な評論家が日本にいて、著書に書いてあるとします。そのときに、

「ウェストサイド・ストーリーという映画は、アメリカの世界征服の陰謀のための映画だ」という人がいる。

ということを、記事に書くべきかどうかは、少なくともその信憑性について、執筆者が責任を持って判断すべきことです。単に、そのような主張をする人がいることが事実だからといって、編集者はその事実を確認しさえすれば、主張が正しいかを判断せずに書いてもいいというのは、WIKIの編集方針以前の、文章を公表する基本的な常識から、否定されることでしょう。

浜田のおどろおどろしい記事について、Tyoronがそれを積極的に要約して、記事に書くことは、私には、

>編集者が好む立場を支持するような形で、既存の事実、理念、意見、論証を分析・合成するような記述を、その記述の出典となる評判の良い資料を明記せずに加筆する。

という行為に当たっているのではないかと思います。浜田の論文が評判がいいかどうかは置くとして。

====Sfwu 2008年6月4日(水) 12:30 (UTC)

8)TyoronからSfwu氏への返事

巧妙なことに彼は何も書いていません。

いえいえ。ディナーでの匿名中国人の台詞を聞き、自分の調査をしたところ、「確かだった」と言っているので、浜田の主張となっています。また浜田自身も裏づけ調査により「(その団体は)チャンに資料提供を行い、講演会を企画している2つの団体は確かに、中国政府から資金提供を受けていることが確認された。」などとしっかり述べています。そして締めに「中国の世界戦略の構図の一つがチャンだ」と述べていますよね。何も書いてないというのはどういうことでしょう?

私から見れば荒唐無稽とも思える、陰謀論めいた話に発展しています。そのような陰謀の存在を彼は確認したと書いていますが、その根拠は示されていません。

あくまでもそれはSfwuさんの「感想」であり、編集者の感想は必要ありませんし、また、出典先の中身が事実かどうか編集者が考える必要もありません(Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」)。そのような主張をする者がいると記載すれば良いだけです。

Tyoronさんの要約は必ずしも間違っているとはいえないでしょうが、その要約が誰が行っても必然的にそうなるというようなレベルのものではないと思います。

少なくとも唯一の反対者であるSfwuさんから「間違ってはいない」というお墨付きをいただけたので、私の要約文にチェンジしたいと思います。

執筆者が対象となる本を読んで、その本はこのようなものだと書くことがすべて独自の研究だというのは、完全にもとの方針を逸脱したものだと思います。

申し訳ありませんが、この主張はコメント依頼したら誰も賛成してくれないと思いますよ?執筆者の感想は必要ありません。出版社なり、評論家の出典が必要です。「当たり前すぎる」とあなたが思うことに出典は必要ないと思われるでしょうが、出典を求められれば提示しなければならないのがwikipediaの方針です。「Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に」。そこで提出できないのならば「除去」となります。独自感想を排除するためにも、それだけ出典は必要なのものなのです。

「ウェストサイド・ストーリーという映画は、アメリカの世界征服の陰謀のための映画だ」という人がいる。ということを、記事に書くべきかどうかは、少なくともその信憑性について、執筆者が責任を持って判断すべきことです

そのように述べている者がいるならば「~はアメリカの世界征服の陰謀のための映画だ、と述べている」という書き方で記載できます。しかしいくらでも反証が出ることでしょう。例えば、映画会社が出している解説、出演者などを出典として反証されることでしょう。しかし中立的観点により、明らかに事実でないことを述べている一方の意見も排除はできません。何度も申しますが、執筆者の解説は必要ありません。 執筆者が映画を観て、その解説・評論をする必要はないのです。失礼ですがSfwuさんは方針熟読期間が少し必要ではないか、と本気で思えてしまいました。

--Tyoron 2008年6月4日 (水) 13:48 (UTC)

====Sfwuからの短い返事

唯一の反対者とか、他人がどういう風に賛成するかとか、とりあえず、討論では重要ではありません。Tyoronさんの独自の論理で独走しないよう、お願いします。

私の記述を細切れにしないで、きちんと反論してください。さもなければ、議論が成立しません。

--Sfwu 2008年6月4日(Wed) 13:58(UTC)

特に反論がないと受け止めさせていただきます。「おどろおどろしい」などの感想や方針の独自解釈の文だらけのSfwuさんに「独自の論理」と言われたことは心外です。私は方針をリンクし、そのまま解説しているのみです。--Tyoron 2008年6月4日 (水) 14:18 (UTC)
心外といわれても、浜田の雑文に関するあなたの要約は、単にあなたの要約でしかありません。それとは異なる要約も可能です。したがって、浜田の雑文の信憑性も問題で、あなたがそれを判断せずに無条件に引用すること、対象となる書物自体を読もうとせず、それを読んで、あなたの要約に関する問題点を指摘することを削除すること。これらは、すべて、文章を公開するという基本的な義務に反しており、また、Wikiの執筆方針にも違反しているといえます。ぜひ、冷静に私の言うことを反芻し、態度を改めてくれるよう要望します。

-- Sfwu 2008年6月5日13:10 (UTC)

異なる要約も、もちろん可能でしょう。だからこそ私は現状唯一の異論者のSfwuさんに新たな提案を聞き、また私の提案も提出したわけです。しかしSfwuさんは提案文を提出せず、私の提案文を「間違いではない」と仰いましたので、チェンジした次第です。浜田の文を「雑文」というのはSfwuさんの無意味な「感想」でしかないので、いちいちそこは反論はしないでおきます。未だに浜田の文の中身の信憑性をSfwuさんが考えている時点でwikipediaの基本方針を理解していないと思われます。何度も言います。執筆者は意見の中身が信憑性あるかどうか、真実かどうかを判断する必要はありませんWikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか)。「対象となる書物自体を読もうとせず、それを読んで、あなたの要約に関する問題点を指摘することを削除すること。」 ここは何を仰っているのか理解できませんでしたので、もう少し具体的に仰っていただけますでしょうか?--Tyoron 2008年6月5日 (木) 18:48 (UTC)

9)Super11よりSfwuさんへ

諸君!の記事は、1998年4月号のもの、ニューヨークタイムズの記事は1997年12月14日(Orville Schell氏による書評です)のものです。私の解釈に誤りがあるのならもう一度詳しくご教示ください。何卒よろしくお願いいたします。--Super11 2008年6月5日 (木) 14:41 (UTC)

なお、編集者の判断・文献引用に関する議論(あまり参加したくない議論ですが)ですが、「議論を真実性ではなく検証可能性を基準に情報を掲載します。」というウィキペディアの方針が重要であると思います。 --Super11 2008年6月5日 (木) 15:12 (UTC)

10)SfwuよりTyoronさんへ

まあ、単なる印象ですが(こういう印象も重要です)浜田の記事は、タブロイド版のゴシップ紙程度の重みしかないと思いますよ。あえて、引用して記事に乗せる価値があるとも思えない。文献の取捨選択は編集者の責任です。

それは置いて、浜田の記事を

 1.アイリス・チャンが中国から資金提供を受けて、その意向に沿う内容の書物を書いた。
 2.アイリス・チャンは著述のための資金の大部分を中国関係団体から受けた。

と要約するのは間違いですね。この記事はそういうことを書いていない。この記事のテーマは、戦後、一貫した対米重視(従属?)の政策で成功してきたという考え方を基準にして、中国とアメリカの外交関係が緊密になっていくことは、その日本の外交政策の存立基盤を崩壊させる危険をはらむものだから、対抗しなければならないという政治的主張であると見るべきですね。その枠組みで、アイリス・チャンの著書は、そういう好ましくない動きを強化するものだと見ていることは事実でしょう。

--Sfwu 2008年6月7日 0:30 (UTC)


上記の要約文は現在の要約と違うと思いますが、何に対しての反論なのでしょうか?

「アイリス・チャンは中国と関わる団体から旅費や資料提供を受けており、この書は中国の工作のひとつであり、日本は注しなければならない」

と言うのが正確な浜田の主張です。そしてそのまま現在本文に書かれております。

--Tyoron 2008年6月7日 (土) 02:07 (UTC)

11)SfwuよりSuper11さんへ

秦は、ニューヨーク・タイムズの書評の抜粋だけを読んで、そこから原注を調べて、この本はまともな出典を示していないと書いています。しかし、この部分は、『ザ・レイプ・オブ・南京』への評論ではなく、ニューヨーク・タイムズへの書評への批判なので、この本を解説する記事にその批判をそのまま載せるのは、不適切だと思います。

前にも書いたように、アイリス・チャンは序文で要約的に書いた日本軍の犯罪行為を、その後の章でもっと詳しく記述し、原注でそれぞれに出典を示しています。

ただ、秦の諸君の論文のテーマは、その部分の出典が示されていないという主張ではなく、アサヒ・グラフの写真誤用説などにありますので、それが不正確だということだけで秦の論文を評価することはできないと思います。秦の論文の中でも、さわりや枕の部分で、核心ではありません。 いずれにしろ、該当箇所は『ザ・レイプ・オブ・南京』を解説する百科事典の記事として引用できる記述ではないと思います。 --Sfwu 2008年6月7日 0:45 (UTC)

Tyoronさんへの追記

「対象となる書物自体を読もうとせず、それを読んで、あなたの要約に関する問題点を指摘することを削除すること。」

この意味が不明ということでした。確かに、よく練れていない表現です。アイリス・チャンが中国政府(系)の団体資金を受けて、あるいはその依頼に応じて、その目的を達成するための本を書いたという(ように読める)記述があり、浜田のゴシップ記事を根拠にしていました。しかし、アイリス・チャンが旅費を負担してもらったのはアジアへの取材旅行ですが、この本はアジアの取材旅行だけで書かれているものではないので、このような推測は成り立たないと指摘したところ、それは独自の評論だと反論がありました。しかし、それは本自体を全体的に読んでいけば、明らかなので、独自の評論とはいえないと反論すると、本自体の評価は「独自の研究」で、他の評論記事の引用はその信憑性にかかわらず、「中立的」な編集だから、正当だ」というようなことを、TyoronさんがWikiの記述方針を引き合いに出して、主張しました。この主張があまりにもひどいと思ったので、そういう言い方になったわけです。

--Sfwu 2008年6月7日 1:00 (UTC)

こちらで提案もないままに書き換えるのはいかがでものしょうか?しかもSfwuさんの要約は浜田の主張の全体を無視し一部だけ切り取ったものとなっています。浜田のこれらの主張はどこへ行ってしまったのでしょう?「(チャンを支援した)「太平洋文化財団」は、中国の諜報機関が関与していると言われている」「チャンに資料提供を行い、講演会を企画している2つの団体は確かに、中国政府から資金提供を受けていることが確認された。」「旅費を負担した財団の実態は不明な点が多いが、その財源に中国がアメリカで行って非合法ビジネスの資金が流れていることは、ほぼ間違いが無い」」「このように中国当局の隠れた支援があった」「この本の裏に秘められた中国という覇権国家の野望を冷静に読み取ることが不可欠」「そのためには、中国の対米情報戦略の尖鋭化を見て取る必要が有る」(構図の説明)「このような構図の中で、アイリス・チャン女史のスター化」 気持ちは理解できなくもないですが、ご自分の思想に都合の悪い部分は歪曲して要約する姿勢はいかがなものでしょうか?こちらで提案もなく編集したためリバートさせていただきます。少なくともSfwuさんは私の要約を「間違いではない」と発言し、私はSfwuさんの要約は全体でなく一部だけ切り取ったものであり浜田の主張からして間違えた要約だと思いますので。私たちで決められなければコメント依頼しても良いかな、と思っています。そもそも浜田の文の題名が『「ザ・レイプ・オブ・南京」中国の陰謀を見た~アメリカを巻き込んだ中国のプロパガンダ工作に日本はなすすべもない。目を覚ませ、ニッポン!』ですよ?「この本は中国の陰謀の一つのものであり、日本よ注意しろ!」ってのが浜田の言いたいことなのは題名だけでも明らかじゃないですか。冷静にお願いします。--Tyoron 2008年6月7日 (土) 01:34 (UTC)
---こんにちは、

大変残念ですが、Tyoronさんは、浜田のゴシップ記事の基本的な部分を読み違えています。

「(チャンを支援した)「太平洋文化財団」は、中国の諜報機関が関与していると言われている」

この部分は、名前も分からない中国人の言葉として書かれていて、浜田の主張ではありません。そして、それを正確に引用すると、

その上、彼女が本を書くために中国や台湾を訪れた時の旅費を提供した『太平洋文化財団』は、中国とアメリカの諜報機関が関与しているといわれているわ。

となっています。この記事全体をよく読めば、諜報機関はすべてアメリカの諜報機関を指しています。つまり、この部分は、中国の諜報機関とアメリカの諜報機関という意味ではなく、中国政府(関係の組織)とアメリカの諜報機関と読むべきです。

なお、この部分を浜田自身が調べてみたところ、二つの組織は中国政府から資金を受けていたことを「確認」したと、根拠も示さずに書き、「太平洋文化財団」につてはよく分からないが、中国政府参加の企業の資金が流れているという憶測を述べいます。浜田が自分の言葉で、書いているのはこれだけです。(その後は、もっと話が大きくなって収拾が付かなくなっている。)

このようにTyoronさんが誤読するようなややこしい記事で、真実性の検証ができるとも思えない部分を、Tyoronさんの不正確な「要約」によって掲載するというのは、問題ではないでしょうか。ご再考をお願いします。

--Sfwu 2008年6月7日 12:10 (UTC)

---こんばんは、

確かに諜報機関は米国のものですね。これは失礼しました。そこは書き直しておきましょう。

文芸春秋の論文をまとめてみますと、

  • 『彼女に旅費を提供した「太平洋文化財団」は、中国とアメリカの諜報機関が関与していると言われているわ。』をはじめとした「中国のために動いているチャン」という知人の言葉
  • 知人の言葉を受けて、浜田が裏を取ったところ、『チャン女史に資料提供を行い、講演会を企画している2つの団体(太平洋文化財団など)は確かに、中国政府から資金提供を受けていることが確認された。』
  • そして『中国の人民解放軍が米国で外貨を獲得する目的で1万社を越える企業を発足させ、非合法ビジネスにも多く従事しており、チャンに旅費を負担した財団にはこの金が流れている』
  • 『この本の裏に秘められた中国という覇権国家の野望を冷静に読み取ることが不可欠』『そのためには、中国の対米情報戦略の尖鋭化を見て取る必要が有る』
  • (斉藤大使とチャンのテレビ討論の出来事解説)→(米国での中国の対米戦略の構図説明)→『このような構図の中で、アイリス・チャン女史のスター化となっている』

流れは上記で間違いないと思いますが、やはり浜田の論文の論旨は「アイリス・チャンは中国と関わる団体から旅費や資料提供を受けており、この書は中国の工作のひとつであり、日本は注意しなければならない」というものですね。ただ現在の本文の「諜報機関」の部分は訂正しておきます。

また、浜田の主張の中身の根拠・真実性を私たちは求める必要はありません。反証があるならば付け加えて書けばよいだけです。「こんなことを言っている人もいる」といものですから。--Tyoron 2008年6月7日 (土) 13:44 (UTC)

---こんばんは、

「2つの団体(太平洋文化財団など)」とありますが、二つの団体に太平洋文化財団は含まれているのでしょうか。そう読むと、前後関係が矛盾しませんか。本当に紛らわしい記事ですね。話しているのは、匿名の中国人ではなく、「友人のガールフレンド」でした。国籍も、年齢も人種も不明。その言は検証不能だと思います。

「百科事典を編纂する際、良い記事を執筆するためには、広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論についてのみ言及すべきです。」

とあります。浜田の記事には、事実、学説はないが、主張、意見(政治的な)はあるので、その様な表明としてこの記事を引用すべきと思います。この私の提起に、まともに答えるのが先の話です。記事の修正を勝手に進めるのは、やめてください。

--Sfwu 2008年6月7日 14:55 (UTC)

---おはようございます、

『彼女が旅費を提供した「太平洋文化財団」は、中国とアメリカの諜報機関が関与していると言われているわ。それに論文執筆中の活動費を負担したジョン・アンド・キャサリン・マッカーサー財団といえば、有名な左翼支援団体よね。』この知人の言葉を受けて、浜田は調査をし裏を取り、『チャン女史に資料提供を行い、講演会を企画している2つの団体は確かに、中国政府から資金提供を受けていることが確認された。また、旅費を負担した財団の実態は不明な点が多いが、その財源に中国がアメリカで行って非合法ビジネスの資金が流れていることは、ほぼ間違いが無いようだ。』と語っているわけですから、それが太平洋文化財団とマッカーサー財団を指すのは明白でしょう。紛らわしいというより、普通の読解力があれば理解できるレベルだと思いますが。

「百科事典を編纂する際、良い記事を執筆するためには、広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論についてのみ言及すべきです。」

現在の本文では、浜田の意見として書かれおり、上記方針通りになっており、問題は見当たりませんが。また、確実な間違いが判明したのならば、早急に修正するのは当然でしょう。提案もせず合意もなく急に編集したSfwuさんに「記事の修正を勝手に進めるのは、やめてください。」と言われるとは思いませんでした。--Tyoron 2008年6月7日 (土) 23:32 (UTC)

12)Super11よりSfwuさんへ

 秦氏の論文(諸君!1998年4月号)の該当部分(『The Rape of Nanking』のIntroductionの記述の出典が不十分との批判)の引用に反対される理由は、「孫引きだから」ではなく、「『The Rape of Nanking』への批判ではなく、ニューヨークタイムズの書評に対する批判だから」ということでよろしいですか? ここを確定して置かないと次に進めません。 --Super11 2008年6月7日 (土) 17:01 (UTC)  また、文献の引用については、ウィキペディアの方針に、『この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。』とあります。 --Super11 2008年6月7日 (土) 17:05 (UTC)

13)SfwuよりTyoronさんへ

正直言いまして、このような不毛な論争を続けることには苦痛を感じます。Tyoronさんは、実際に『ザ・レイプ・オブ・南京』を原書または翻訳書(日本語訳でなくても、フランス語でも中国語でも結構です)をきちんと読んでから、記事を書いているのでしょうか。疑いたくなります。また、いちいちこのような誤読をノートで訂正してあげなければならないというのは、大変、困ったことで、このように連続して誤読を継続できる人物が、執筆者の席に居座って、他の人の記述を頑固に消し続けるというのは、いかがなものでしょうか。

愚痴はさておき、全部をいちいち検討している暇がないのですが、この部分の要約について、指摘します。

知人の言葉を受けて、浜田が裏を取ったところ、『チャン女史に資料提供を行い、講演会を企画している2つの団体(太平洋文化財団など)は確かに、中国政府から資金提供を受けていることが確認された。』

これは、浜田の記事の、次の箇所の引用をまとめたものだと思います(違っているのならば、指摘してください)。

そのような中国系組織を巡る人、物、金の動きをモニターする専門家筋の情報として、チャン女史に資料提供を行い、講演会を企画している二つの団体は確かに、中国政府から資金提供を受けていることが確認された。また、旅費を負担した財団の実態は不明な点が多いが、その財源に中国がアメリカで行っている非合法ビジネスの資金が流れていることはほぼ間違いがないようだ。・・・

つまり、浜田は、資料提供と講演会を企画している二つの組織と旅費を提供した財団について、「調査結果(なるもの」を紹介しているわけです。Tyoronさんが引用した、正体不明の女性の言葉の部分では、太平洋文化財団が旅費を提供したとし、もうひとつの左翼系団体が活動費を負担した言っていますが、旅費を負担したというのは「太平洋文化財団」です。したがって、旅費を負担した財団は太平洋文化財団を指しています。しかし、「二つの団体」は費用の負担ではなく、資料の提供と講演会の企画を行うという別の種類の運動をしているのだから、Tyoronさんがあげた二つの財団とは別の組織です。この団体は、正体不明の女性が前のページで述べている

彼女の最初に接触をした『南京大虐殺の犠牲者を追悼する連帯』や彼女の講演会をお膳立てしている『アジアにおける第二次世界大戦の歴史を保存するための世界同盟』は、...

がそれにあたるでしょう。これらの組織は、『ザ・レイプ・オブ・南京』の序章や謝辞で、アイリス・チャンが本を書くきっかけの説明などで紹介している団体です。

・南京大虐殺の犠牲者を追悼する連帯→The Alliance in Memory of Victims of the Nanjing Massacre(南京大虐殺の犠牲者を記念する同盟)

・アジアにおける第二次世界大戦の歴史を保存するための世界同盟→Global Alliance for Preserving the History of World War II in Asia(世界抗日戦争史実維護聯合会)

Tyoronさんは、Wikiの方針以前に、もう少しきちんと物事を調べ、理解してから書き込みを行うべきだと思いますが、いかがでしょうか。

--Sfwu 2008年6月8日 4:30 (UTC)

なるほど。一部誤読があったことは失礼しました。しかしだからと言って現在の文が除去理由ともなりませんし、要約が間違えていたわけでもありません。一部分のミスを切り取って全体のミスのように語る姿勢はいかがなものでしょうか。

「南京大虐殺の犠牲者を追悼する連帯」「アジアにおける第二次世界大戦の歴史を保存するための世界同盟」

上記二つの団体が『チャンに資料提供を行い、講演会を企画し、中国政府から資金提供を受けている』という団体ですね。

そして、「太平洋文化財団」

この団体が『チャンに旅費を負担した財団であり、その財源は中国(人民解放軍)がアメリカで行っている非合法ビジネスの資金が流れている』という団体ですね。

その上で、『旅費負担や資料提供をした団体(太平洋文化財団など)は、中国や米国の反日団体や諜報機関とも裏で繋がっている団体であり、チャンの一連の動きは中国の世界戦略策の構図の中の一つのものであるため、日本政府は一刻も早く目を覚まして対抗措置を講ずるべきだと浜田は指摘している』という現在の要約文は間違えているでしょうか?逆にずいぶん抑えた表現にしてあるくらいだと思いますが。--Tyoron 2008年6月8日 (日) 07:06 (UTC)

Tyoronさんが、書物そのものを読んでいるのかという質問に答えてくれませんか。こういう小さな誤読を繰り返すのは、Tyoronさんが読解力に欠けるという見方もできるかもしれませんが、浜田の記事だけを読んで、その対象たる書物を読んでいないからではないかと考えられます。まずその点に答えていただきたいのですが。

その答えを伺ってから、その後の議論をしましょう。

--Sfwu 2008年6月8日 8:35 (UTC)

本書は読んでいませんよ。第三者の評価を見ていると価値がなさそうな本ですし(私の感想)。浜田の論は読んでいますが。浜田の主張を記載するのに本書を読む必要性はありませんよね。例えばその映画を見ていなくとも、評論を述べている者の出典を出して記載することに何の問題がないのと同じように。私は単に浜田の論文の一部を誤読しただけであり、浜田の主張を載せることに本書を読む必要性はありません。逆に本書を読んで執筆者の感想を書いてしまったら問題でしょうね。--Tyoron 2008年6月8日 (日) 11:11 (UTC)
Tyoronさんは、対象となる書物を読まずに、それにかんする書き込みをしようとしているわけですね。Tyoronさんが読んでいるのは、浜田の記事と、それ以外に何があるのでしょうか。

この項目は浜田の解説ではなく『ザ・レイプ・オブ・南京』の解説であることを理解しているのでしょうか。百科事典の記事以前に、基本的な常識が欠けているように思えます。

--Sfwu 2008年6月8日 12:55 (UTC)

私が他に何を読んでるのか何ら関係のないことでしょう。議論を無関係な方向へ撹乱させないでいただきたいものです。現在は浜田がこの本について語っていることを、正確な要約で記載しようとしているのみであり、全体を私がいじっているわけではありません。そもそも記事の対象となる著書や映画を見なければ編集できないというルールなどありませんし、逆に観たり読んだりしていないほうが、主観が入らず、第三者の評論や解説、研究を集めて記載できるので「中立的観点」や「検証の可能性」に適う記事作りができるように思えます(まあ、これはあくまで私の見解ですが)。現在私は、この本に対する評論・意見の「事実」を消去しようとしたり、歪曲して要約しようとする方がいたので、それはいかがなものか、とこちらに伺っている次第です。--Tyoron 2008年6月8日 (日) 21:50 (UTC)


こんにちは、

まあ、あっけらかんと居直られてしまうと、これ以上、苦言を言う気にもなれません。「正確な要約で記載しようとしている」などとイケシャアシャアと書いているのですが、本論の議論に入る前に、単純な事項の誤読による不正確な要約の訂正にずいぶん時間を割きました。私が指摘しなければ、そのまま、あれが正確な要約だと思っていたわけでしょう。さらに、全体としての要約は「間違えていない」などという言い方をするのでは、中立性も何も吹っ飛んでしまうでしょう。

これ以上、Tyoronさんと議論をする気はありませんが、本文のほうは、浜田の記事をどのように反映させるかを含めて、検討してから、書き直しの案を出したいと思います。こればかりやっているわけにも行かないので、期限は明言できません。書き直しの案ができたら、一度、この場で発表し、それから意見を聞いて本文を書き直すことにはします。

ただし、今後も、ルールを無視して勝手な書き換えが横行するような事態が発生した場合には、私も、それにあわせるしかないでしょう。

最後に、もう一言だけ、書かせてください。百科事典は井戸端会議や2チャンネルではないのです。よく知らない人が、噂話を集めても、記事はできません。

--Sfwu 2008年6月9日 3:30 (UTC)

Sfwu氏は内容ある反論もできなくなり罵倒してるだけの姿にしか見えませんぞ。議論する気がない方はウィキペディアからご退出していただくしかないですな。大変、見苦しい。--222.149.50.122 2008年6月9日 (月) 07:52 (UTC)
Sfwuさんが以前行った要約[2]も完全に誤読か、そうでなければ浜田の主張の起承転結の結だけを切り取って少し自分の思想にあうように修正したものでした。人には誤読・ミスがあるからこそ話し合い、訂正しあうものなのではないでしょうか?そこで議論を放り投げてしまうのならば、その時点でwikipediaの参加資格はなくなります。提案をしていただけるとのことですが、出典は必須であることと、主観による感想文・断定がないことを意識して作成してください。期待しております。--Tyoron 2008年6月9日 (月) 12:34 (UTC)

14)SfwuよりSuper11さんへ

こんにちは、

Wikiの方針については、読んでいますが、矛盾しているところもあるようで、また、基本的な前提もあるようで、さらによく分からないところもあります。今後も、時間の許す限り、個々に考えていきたいと思います。

前にも書きましたが、百科事典の記事は、対象となる項目を説明するもので、その記事の本体は筆者の理解に基づいて書く以外に、作成する方法はあリません。これに対し、引用は客観的だというような反論があったように記憶しますが、事項に関する解説文献も、引用者の理解と編集によって引用されるのだから、筆者の認識を反映しています。だから、たとえば、独自の研究を排除するといっても、何が独自研究で何が違うかは、マニュアル的に判定できるものではないでしょう。

文献を引用するにも、編集者の目的がありますから、その目的に即して考えるべきでしょう。混乱した討論の中でSuper11さんが今回の引用をしようとする意図をはっきりと理解できていないのかもしれませんが、かりに、

『ザ・レイプ・オブ・南京』が目を背けたくなるような残虐シーンばかりを扇情的に描いていて、それらは出典をきちんと確認していない信憑性の薄い(もしくはない)情報ばかりである

と認識している人が、そのように記事に書くことはそれ自体としてはかまわないと思います。しかし、そうではないと認識している人は、その部分を訂正しようとするでしょう。そこで、その主張を実証するために、秦氏の論文の一節を引用した。ところが別の論者が、『ザ・レイプ・オブ・南京』の内容を説明ないし引用してこれに反論したとします。そのとき、Wikiの独自研究を排除するという規定を引き合いに出し、引用は独自研究ではないが、書物自体の解説は独自研究だといって、反論を封じ込め、引用を掲載し続けようとするとしたら、実際には自己の認識を規則をたてにとって押し付けていることになります。自分の認識を書きたいのならば、その立場を明確にして、その上でそれぞれの批判にあるいは反論し、あるいは受け入れ、記事の内容を良いものにしていくべきだと思うのですが、この提案については、どう考えますか。

どうしても、意見の対立を埋められない場合には、中立的に両論併記するか、その問題を回避するかするしかないでしょうが、その場合にも、資料に関する調査とより深い理解が前提です。このような普遍的(と私が考える)な執筆の規則がWikiの執筆方針に抵触するのならば、問題なので、その事実があったら、あるいはそう感じたら、指摘してください。

質問に対する十分な答えになっていなかったら、申し訳ありませんが、時間があれば再度質問してください。

--Sfwu 2008年6月8日 5:15 (UTC)

緊急の手直しの必要性について

注の3と13は、重複しているし、ポーラ・カーメンの記事が申し訳程度についているのは、意味を分かりにくくしていますね。これは、もともとは、アイリス・チャンが旅費を負担してもらったという点について、アイリス・チャンが報酬を得て中国政府などに奉仕するような資料を書いたとする言い方に対する反例として、書かれていた記事の元の部分が大きく書き換えられたのに、書き換えたTyoronさんがつながりを無視し、放置したためです。

旅費の負担ではなく、中国の国家戦略云々の話に論点が移っているのならば、注3は注13に併合すべきですね。また、浜田の記事を要約するのならば、それがどの程度信頼できるのかについての事実の提供も必要でしょう。とりあえずは、その点について、修正する必要があると思います。

--Sfwu 2008年6月9日 12:00 (UTC)

重複を併合しておきました。また、ポーラ・カーメンの主張が必要ないならばその部分についての除去には反対はしません。何度も申しますが、公に出版されたもの(文芸春秋)に載っている主張内容の中身を私たちが事実かどうか検討する必要はありません。公の出版物にて浜田の論に反論しているものがあるならば、その主張も載せれば良いだけです。いい加減、方針をご理解下さい。執筆者の研究・レポートは誰も求めていません。--Tyoron 2008年6月9日 (月) 13:00 (UTC)


Tyoronさんに修正を依頼したわけではありません。無断で勝手に直さないでもらえないでしょうか。私のほうは、Tyoronさんの抗議があったので、差し控えています。

単純に、注3を注13に併合すべきところを、逆に併合していますので、意味が通らないこと自体は改善されていません。

Tyoronさんは、引用を要約するとして、実際には自分の解釈を書いています。現在の要約でも、浜田の記事を正確に説明しているとはいえないでしょう。何よりも、Tyoronさんは浜田本人ではありません。

執筆者の研究レポートであるか、正当な記述であるかは、Tyoronが恣意的に決めることではありません。いい加減、方針をご理解下さい。これはTyoronさんの無知を反映した言葉と受け取らせていただきます。

--Sfwu 2008年6月9日 12:00 (UTC)

注3を注13に併合すべきところを、逆に併合していますので、意味が通らないこと自体は改善されていません。

これのどこが意味が通らないのでしょうか?誰が見ても普通に意味が通る文となっていると思いますが。ご教示ください。こちらで具体的な提案も指摘もせず、勝手に編集しているのはどなたなのでしょうかね?


Tyoronさんは、引用を要約するとして、実際には自分の解釈を書いています。

えっと、またこれも具体的な指摘がないままですね。そもそもあなたは、私の要約について「間違いではない」と発言しました。またその後「浜田の言う団体とは何を指すのか?」という指摘において、あなたの「これは太平洋文化財団、あれは南京大虐殺の犠牲者を追悼する連帯」という意見や「諜報機関は米国のもの」という意見の通り改良してきました。そうでありながら、急に具体的指摘をノートですることなく「自分の解釈を書いている」と言いはじめ、編集する姿勢はいかがなものでしょうか?感情で行動せず、具体的に話し、そして合意を得てくださいね。私の編集はあなたとの意見交換の上で行っておりました。あなたは何の意見交換もなく強行編集していることにお気づきくださいね。

強行編集した内容[3]について。すべてを「知人の話」としたようですが、浜田自身の以下の主張はどこへ消えてしまったのでしょうか?お答え下さい。

「南京大虐殺の犠牲者を追悼する連帯」「アジアにおける第二次世界大戦の歴史を保存するための世界同盟」

上記二つの団体が『チャンに資料提供を行い、講演会を企画し、中国政府から資金提供を受けている』

「太平洋文化財団」

この団体が『チャンに旅費を負担した財団であり、その財源は中国(人民解放軍)がアメリカで行っている非合法ビジネスの資金が流れている』

『中国当局の隠れた支援があった』『この本の裏に秘められた中国という覇権国家の野望を冷静に読み取ることが不可欠』『そのためには、中国の対米情報戦略の尖鋭化を見て取る必要が有る』(構図の説明)『このような構図の中で、アイリス・チャン女史のスター化』

また、『ザ・レイプ・オブ・南京』の内容には深く触れず→冒頭からSfwuさん得意の感想文。深いか浅いかあなたが決めることではありません。

そろそろコメント依頼の時期でしょうかね。ちょっと歪曲が酷すぎますよ。ご自分のイデオロギーは抑えてくれませんか?浜田の主張を消した理由をまずご教示ください。--Tyoron 2008年6月9日 (月) 13:46 (UTC)

-- こんばんは、 今日はこれまでにしたいのですが。修正が御気に召さなかったでしょうか。私が浜田の記事を読む限り、そういうことしか書いてありませんでした。特に、見出しには景気のよいことが書いてあるのですが、細かく読むと中国政府の普通の外交努力が書いてあるだけです。アメリカの要人に親中派を増やすというのは、どこの国でも行うべき外交政策でしょう。日本が文句を言うようなことではありません。しかし、それが日本の利益に反するから、日本政府は対策を講じるべきだ。

思わせぶりで不確定な記述を除くと、こういう主張になると思います。そして、その限りでは、日本の政府や世論に相当の説得力を持ったので、この面を中心に取り上げるべきと思います。

陰謀説は、特定の団体や個人に対する誹謗中傷につながるものであり、よほど、確かな根拠が語られていない限り、公開の文章に含めるべきではないというのが、良識的な立場ではありませんか。

とにかく、Tyoronさんの「要約」は、浜田がはっきりと書いていない陰謀説に偏りすぎているし、それを補完強化しています。ゆっくり議論しましょう。しかし、議論を継続するのならば、『ザ・レイプ・オブ・南京』にも目を通すよう、要望します。

--Sfwu 2008年6月9日 14:40 (UTC)

だから、あなたが「思わせぶりかどうか・確定か不確定か」を決めなくていいんですよ。いい加減方針を熟読してくださいな「Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」。そして誹謗中傷につながるのならば、ここではなく、浜田や文芸春秋社が訴えられるのです。wikipediaにて誹謗中傷しないためにも出典が重要なのです。いい加減、反対のための反対は止めて頂けませんか?誹謗中傷論を新たに出したり、反対理由を手を変え品を変え、主張に一貫性がなさすぎますよ。結局、浜田の主張を除去した理由を「思わせぶりで不確定な記述だから」と仰っており、これは執筆者が「真実かどうかの判断」をしてしまっているという完全に方針から外れる理由であることが判明しましたのでリバートさせていただきます(Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」)。--Tyoron 2008年6月9日 (月) 14:59 (UTC)

また、私の「要約」を偏っていると思われるならば、具体的にどこかを指摘してください。急に「偏ってる」「自分の解釈を書いている」と抽象的なことを言い始めて、大幅に変化させた文に編集されても混乱するだけです。--Tyoron 2008年6月9日 (月) 15:10 (UTC)

議論を拝見いたしました。Sfwu氏は自論に適合しない情報を排除する傾向があり、その原因としては出典付き情報の軽視や方針の無理解(特にWikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」)などが考えられます。本文の更新履歴の内容からも出典付きの情報であっても自論に適合しないものをことごとく除去している形跡が少なからず確認できます。議論の場はともかく本文は自分の判断や感想文を編集する所ではありません。まず方針文書を熟読して理解されることが肝要です。Handmade 2008年6月9日 (月) 17:54 (UTC)

浜田の記事の主張の本質はどこにあるのですか。浜田の記事は、戦争責任を見直し、日本に公式の謝罪と十分な補償を要求しようとしている運動に対して、外交的に対抗措置をとるべきだという主張にその主題がある。これが、あなたにはよめないのですか。これが妥当な要約でしょう。

その主張を正当なものとするために、浜田は陰謀説を説いている。しかし、この陰謀説は浜田の記事の主題ではないのです。陰謀説の論拠は、非常に主観的で、十分な論証もない。こういう判断をせずに、すべての関係文献を掲載するというのならば、それは実質的に不可能でしょう。何度も言うように、引用も編集者あるいは執筆者の文責であり、その内容にどの程度の価値があるかについては、引用者が判断しなければならない。

浜田の記事が『ザ・レイプ・オブ・南京』に対して、どのような位置にあり、どのような役割を果たしているのか、対象の説明で、どのように有用なのかを判断して、引用すべきでしょう。本書を読んでいないというTyoronさんは、その点についてどう考えるか、釈明を求めたい。

--Sfwu 2008年6月9日 12:40 (UTC)


何ら私の問いに答えず、同じことの繰り返しの主張をしますね。浜田の主張の本質は「この著書が中国のプロパガンダ工作の一つであり、このような動きに日本は気をつけろ」でしょう。それは題名からもよくわかりますよね。『「ザ・レイプ・オブ・南京」中国の陰謀を見た~アメリカを巻き込んだ中国のプロパガンダ工作に日本はなすすべもない。目を覚ませ、ニッポン!』。あなたの要約を拝見すると、浜田の主張をすべて除去し、知人の言葉だとして記載しており、完全に誤読をしているか、わざと歪曲しているとしか言いようがありません。何を隠したいのか存じませんが、偏向した要約をしないでいただきたい。こんな歪曲する人がいるならば、要約せず、完全なる引用形式にしようかとも思っています。また、ある映画や著書について、あらゆる方向からの多くの評論・主張を載せることは百科事典として有用なことです。一方の主張を載せ、他方の主張を載せなかったらPOVともなってしまいますしね。少なくともあなた個人が、出典あるものを強行に除去する権利はなく、合意を得てから行動してください。編集合戦になるだけです。
そして未だに「浜田の主観的」「論証がない」だの、どーのこーの言ってますが、あなたが何度も繰り返すこの方針の無視について問います。(Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。 この基本方針について、あなたはどういう見解なのかお聞かせ願いますでしょうか?自身の主張が基本方針と外れるものだとお気づきにならないのでしょうか?あなたの浜田の主張の中身の研究は必要ないのです。あなたの判断は誰も求めていません。--Tyoron 2008年6月10日 (火) 16:54 (UTC)


討論を経ないで、勝手に大幅に書き直している人が沢山出てきましたね。議論のうえで、記事を改善していこうという合意は失われたと考えてよろしいですか。Tyoronさんは、一応、議論を通しているのですが、貴殿ももうそういう立場を放棄して、修正合戦に戻りたいと考えていますか?お返事をお待ちしています。

--Sfwu 2008年6月9日 12:50 (UTC)


Sfwuさんも討論してから編集しましょう。あなたの編集は何の合意も得ていません。私が編集した部分は、このノートで、あなたの「間違っていない」という言葉や「諜報機関は米国のもの」などの指摘から間違っている部分を訂正したり、すべてあなたと共同で改善させていったものとなっております。しかしあなたは、ノートで提案・指摘もなく急に「自分の解釈を書いている」などと言い始め、「方針無視の主観的な要約」をして強行編集しました。これでは編集合戦となるだけでであり、まったく無駄な行動です。感情は抑え、しっかり議論→改良の順序を経て編集してください。出典ある記述を除去するならば、相手をしっかり納得させてから行動するべきではありませんか?--Tyoron 2008年6月10日 (火) 17:07 (UTC)

出典付き情報の無断除去について

前述したとおり、Sfwu氏はどれだけ出典付き情報を無断で除去しているかを確認し、それぞれについて説明し議論してください。自論に適合しないからといって出典を除去することは許されていません。無視なさるようでしたら、まず方針文書を熟読して理解されることが肝要です。Handmade 2008年6月10日 (火) 14:51 (UTC)

Sfwuさんに提案なのですが、とりあえず現在の本文に確定させて、異論のある部分は本文の上から一つづつ主張していけばいいのでは?ひとつ解決したら次の指摘へと。あれもこれもいじったり、ここでいっぺんに主張すると話が広がりすぎて収拾がつかなくなり、話もまとまらないと思いますので。その結果が編集合戦。とにかく相手を納得させることができないのならば出典ある記述を除去するべきではないと思います。とにかく皆さん、とりあえず編集は控え、まずはノートで議論してください。--Tyoron 2008年6月10日 (火) 17:55 (UTC)

Tyoronさんへ、 一応、まだ話し合いができるということで、ほっとしました。現在の本文を確定するというのですが、私としては確定する場所がかなり中立的でないところにいっている気がします。また、議論の途中で勝手な修正をされた点は、私の参加の意欲を非常に萎えさせています。

とりあえず、浜田の記事の評価、引用方法について、Tyoronさんともう少し、議論できるものと考えます。

当初、私はあの記事の意義をあまり認めておらず、引用文献として不適切だと思っていました。だから、要約ができないほど、意味不明の記事だと書いたわけです。

しかし、よく読み返してみると、この記事はある意味で、『ザ・レイプ・オブ・南京』に対する日本の対応において、典型的な意味を持つのではないかと見直しました。

私の考えですが、藤岡らとは異なり、浜田の記事は書物の内容を批判しているものではありません(藤岡らの批判は、内容はひどいものですが)。そして、自分の言葉ではなく、正体不明の女性の言葉を長々と「引用」し、アイリス・チャンが帰属しているアメリカ系の中国人のグループの運動を、誹謗しています。その根拠は薄弱です。

これだけならば、浜田の記事は、アイリス・チャンが公開書簡で批判しているように、荒唐無稽な与太話のレベルで終わるものであり、まともな記事として引用すべきものではありません。

しかし、浜田は、アメリカ系中国人の運動が、日本の戦争犯罪を見直し、日本政府に公式の謝罪と十分な補償を要求する運動を展開し、アメリカの世論にもある程度の賛同を得ている点に、何よりも早く着目しています(文献的には)。そして、この運動の目的を語りかける効果の面で、アイリス・チャンの書物が強い力を持つ面に注目し、その内容の真実性にかかわらず、この本をその運動の中で把握しています。

つまり、浜田は、アイリス・チャンが帰属するグループの運動が陰謀や非合法活動、あるいは犯罪活動だから、これを否定しているのではなく、アイリス・チャンが主張している日本の戦争責任に関する見解に根本的に対立する見解を持っていて、その見解を効果的に主張するために、中国系アメリカ人全体が犯罪者や裏社会であるかのような言い方をしているわけですたとえば、アイリス・チャンが属していたグループの運動が合法的な運動だから、浜田がこの運動の意図を認めるというようなものではありません。だから、彼の記事はそのような政治的な主張としてみたときに、非常に大きな意義を認めることができるのです。実際に、『ザ・レイプ・オブ・南京』に対する日本人の多数派の反応は、彼の目指すような戦争責任を見直そうとする動きを「反日」的な勢力の運動として、対抗していこうという態度に固まっていきました。

私が彼の記事を引用するのならば、そのような彼の記事を記述する中で、彼女の本が日本でどのように受け取られ扱われてきたのかを述べるのが本筋だと思います。

Sfwu 2008年6月11日(水) 12時18分 (UTC)

確定というか、暫定ですよ。ここから細かくSfwuさんが気になるところを一つづつ指摘していってもらえればいいんです。とりあえず、仮確定しないとキリがなく、編集合戦になるだけですから。

浜田の文については、何度も言いますが、知人の話だけでなく、浜田の主張があることをなぜ避けるのか疑問です。そして与太話だろうが、なんだろうが、この本に関わる批評をしているならば一つの論として載せればいいだけです。基本方針上、その中身が真実かどうか・与太話かどうかを私たちが判断する必要はありませんよね。「アイリス・チャンが公開書簡で批判している」ならば、出典を出して浜田の主張のあとに載せればいいのでは?

浜田の主張は、この本を含め「中国のプロパガンダにより米国で反日工作がされており、それは成功しつつある」というものなので、そのまま載せればいいだけと思います。Sfwu さんの見解は少し主観が入り、飛躍が強すぎるかなという思いがあります。--Tyoron 2008年6月12日 (木) 05:21 (UTC)

Tyoronさんへ 浜田の主張は、「陰謀だ」ということではなく、戦争責任の問題を見直されることは、日本の「国益」に反するから、つぶさなければならないということです。陰謀論は後付です。

よろしいですか。非営利の団体は、いろいろなところからの寄付によって、運動を継続するのです。中国政府がそういう団体に寄付することは珍しくないでしょう。また、アイリス・チャンのような文筆家も、さまざまな人々の協力を得て、著書を完成させるのです。

そういうことで、いちいち、中国が操っているとか、そんな言い方をするというほうが、非常識なのです。

アイリス・チャンのこの本は、単に歴史的に南京大虐殺を語っているだけでなく、日本がその犯罪に対して十分に謝罪していないし、また、補償も行っていないから、日本がきちんと向きかってこそ、日本にとっても本当に問題を解決できるのだと明確に主張しています。この点での対立構造を理解することが重要だというのです。

Sfwu 2008年6月12日(水) 14時45分 (UTC)話の流れからしてこちらの位置が良いので移動しました--Tyoron 2008年6月13日 (金) 02:35 (UTC)

「戦争責任の問題を見直されることは、」→では、なく「中国(チャン)の日本を悪とする宣伝をする行為(プロパガンダ)は、日本の「国益」に反するからつぶせ」としているのでは?非営利の団体があらゆる団体から援助をされるのは当然でしょうが、何も無意味に援助する馬鹿はいないわけですよ。政治を見ても利益があるから献金するのです。そしてその見返りを求める。そもそも、そんなことよりも浜田が何を言っているのかを書けばいいだけなんです。中身が推測だろうか、与太話だろうが私たちが考えることではないでしょう。また、SfWuさんが仰っているこの本の解説もSfWuさんではなく第三者がそう言っている出典が必要になりますよ。他の人が読んだら違う主張をしている本だと解釈をするかもしれませんし。--Tyoron 2008年6月13日 (金) 02:35 (UTC)

IPから模倣荒らしが出現しました

219.162.253.126(p6126-ipad04niho.hiroshima.ocn.ne.jp)から唐突な荒らしが出現しています。酷くなるようでしたら半保護依頼が必要になるかもしれません。Handmade 2008年6月14日 (土) 15:22 (UTC)

ピースも問題ですが、それを利用して都合よく編集する行為も、またアラシですよね。ご指摘ありがとうございます。--Tyoron 2008年6月15日 (日) 05:13 (UTC)

たしかに、酷くなるようでしたら半保護の依頼が必要ですね。--Super11 2008年6月15日 (日) 22:05 (UTC)

Super11より

Sfwuさんへ

私がお聞きしているのは、秦氏の論文(諸君!1998年4月号)の該当部分(『The Rape of Nanking』のIntroductionの記述の出典が不十分との批判)の引用にSfwuさんが反対される理由は、①「孫引きだから」という理由なのか、②秦氏の記述が「『The Rape of Nanking』への批判ではなく、ニューヨークタイムズの書評に対する批判だから」という理由なのか、どちらなのかということです。再度お答えください。--Super11 2008年6月12日 (木) 11:48 (UTC)

皆様へ

「反響」の項目のアメリカ合衆国に関する記述について

「『ニューズウィーク』や3大ネットワークなど、全米の主要なマスメディアも本書を好意的に評価した[8]。」という部分について出典が書かれていません。①出典を記載するか、②この部分を消去することを提案いたします。--Super11 2008年6月12日 (木) 11:48 (UTC)

脚注10について

 文献が記載されていません。一度消去し、文献を調査した上で記述することを提案します。--Super11 2008年6月12日 (木) 11:54 (UTC)

  • (コメント)どちらのご提案にも賛同いたしますが、要出典タグを貼って1週間ほど待つのはいかがでしょうか。そして出なければ除去と。--Tyoron 2008年6月12日 (木) 12:03 (UTC)

「『ニューズウィーク』や3大ネットワークなど、。。。については、誰が書いたか知らないから、擁護する気にもなれないけど、全米で好意的に受け取られ、ベストセラーになったというのは、周知の事実ではないの。秦の論文にもニューズウィークは出ている。ワシントンポストやロサンゼルスタイムズも出ている。ヒラリークリントンに私的に招待された話も有名。 まあ、あまり意味のないところだから、消すのはかまわない。というか、この記事はごみのような内容になっている。英語版よりよいものを作るというのは、スタッフの能力が少々、いや相当、不足している。

Sfwu 2008年6月12日(水) 13時50分 (UTC)

Super11さんへ

秦氏の論文の引用に反対しているのでなく、『ザ・レイプ・オブ・南京』が単に残虐シーンを記述しているだけの本であるかのような説明が正しくないといっているのです。

Sfwu 2008年6月12日(水) 14時25分 (UTC)


Sfwuさんへ  再度確認します。秦氏の論文の引用に反対されないということですね?--Super11 2008年6月12日 (木) 15:30 (UTC)


「秦の論文にもニューズウィークは出ている。ワシントンポストやロサンゼルスタイムズも出ている。」のであれば、それが、何年の何月号あるいは何月何日の記事であるのか記載していただければよいだけのことです。また、そもそもSfwuさんがここで取り上げていらっしゃる「秦の論文」とは、『諸君!』1998年4月号(p.82-93) のことですか?--Super11 2008年6月12日 (木) 15:52 (UTC)

秦の論文は、諸君1984年4月号です。86ページにニューズウィーク、ワシントンポスト、ニューヨークタイムズの三紙の書評を読んだが、いずれも絶賛だった(扇情的)と書き、さらにSuper11さんがこだわっているニューヨークタイムズの書評での引用が出てきます。英語版のWikiには、Good Morning America, Nightline, and The NewsHour with Jim Lehrer, で取りあげられ、Reader's Digestの表紙にも取りあげられたと書いてあります。この本が出版直後、アメリカのメディアで絶賛された(好意的以上)のは、周知の事実で、出典を要することとも思えませんが。

ところで、私が秦の論文の引用に賛成か反対かと二者択一で聞かれても返事ができません。記事の骨格が私から見るとまったく歪んでいて、そのまま加筆していくような代物とは思えません。骨格を基本的に変更すると、全体を削除されるし、書き換え合戦をするのも、愚かしいことです。現在の記事に、執筆者の一人として参加することはできません。

これから、どのようなものが出来上がっていくのかを観察することくらいしかできないのでしょう。現在の記事に小規模な修正を加えていっても、質の悪い歪んだ記事であるという状況は変わらないでしょう。期待できません。

Sfwu 2008年6月13日(金)14:35 (UTC)

参考文献についてですが、

The Rape of Nanking : an Undeniable History in Photographs (Shi Young&James Yin, Innovative Publishing Group, 1997年) ISBN 0963223151

は、現在ではかなり入手困難な文献だと思います。これを実際に参考にして記事を書いた人がいるのでしょうか。具体的に教えてくれませんか。『ザ・レイプ・オブ・南京』ですら読まないで書いている人がいるのに(いやみだったらごめん)、こんな専門的な文献にまでさかのぼっている人がこの執筆者にいるのですか。(私は一冊持っていますが。)参考文献になるかどうかは微妙ですね。実際に参考文献としていないのならば、別の形で紹介すべきではありませんか。

Sfwu 2008年6月15日(日)14:59 (UTC)

脚注10を編集いたしました。

出典の付されていない部分については、以前申し上げたように3日後に一度消去いたします。--Super11 2008年6月15日 (日) 23:38 (UTC)

Roger B Jeans 氏による本書への批判を記述しました。--Super11 2008年6月16日 (月) 17:16 (UTC)


J.Luis さんへ

 ジョシュア・A・フォーゲル氏による批判ですが、私の最初の記述が誤訳だったようですので、再度修正しました(Sfwuさんの記述をベースにさせていただきました)。--Super11 2008年6月17日 (火) 16:04 (UTC)

『日中新聞』2008年5月27日p.16の記事がジョシュア・A・フォーゲル氏の論文に対するものかは不明ですが、ノートでの議論を経ずに直ちに消去してしまうほど的が外れているとも思えません。原典に当たって検討する必要があるように思います。--Super11 2008年6月17日 (火) 16:01 (UTC)

同意します。--Tyoron 2008年6月18日 (水) 01:44 (UTC)
同意です。ジョシュア・A・フォーゲル氏の論文に対するものと証明され次第再掲載すべき。ただ冗長さは否めないので要約推敲は必要でしょう。Handmade 2008年6月18日 (水) 13:44 (UTC)


いろいろな見方を紹介するのが、中立的な視点でしょう。いい加減、自分の主観で、一定の見方だけを紹介し、他の見方を勝手に削除するよ うな編集は控えてもらえないでしょうか。

正確に引用すると「冗長だ」、といい要約すると「意見」だという。Wikiは、私物ではないんでしょう。

Sfwu 2008年6月21日(日)12:00 (UTC)

「要約」ならば誰がそのように主張しているのか、誰が「分かる」と言っているのか、主語をつけてください。現在の状態では執筆者の意見となってしまっています。--Tyoron 2008年6月21日 (土) 12:37 (UTC)

「反響」の項目が読みづらくなっています。①アメリカ合衆国における肯定的評価と否定的評価、②日本における肯定的評価と否定的評価という、計四つの項目に分類して記述することを提案します(英語版でも肯定的評価(acclaim)と否定的評価(criticism)を分けて記述してあります)。--Super11 2008年6月21日 (土) 14:16 (UTC)

Super11氏の案に同意します。--Tyoron 2008年6月21日 (土) 14:38 (UTC)

Sfwu氏へ。客観的な書き方に改善されたと思います。--Tyoron 2008年6月21日 (土) 14:38 (UTC)

著作に対する批判的(非難)主張について、個別的に名前を挙げて書いてある部分があるので、2007年以降の角度を変えた再評価の見解も、具体的に例示したのですが、なぜか、一行に要約して、勝手に注記にしておりますね。また、ジョスア・A・フォーゲルの批判に対する山田正行教授の評価について、これもHandmade氏の勝手な編集ですが、「無意味だ」ということで、削除しています。無意味かどうかの判断は、どういう基準で行っているのでしょうか。

どうも、方針の一貫しない、しかも理解度にも疑問のある恣意的な「編集」もどきを加えて、主観的な改変をしていると思わざるを得ません。

こういう状況の根本的な原因は、この著作の内容に関して、執筆者が理解しようとせずに、批評する人たちの記事だけを集めることが客観的で中立的であるという、本質的な誤解にあるのではないでしょうか。結局は、引用を取捨選択しながら、それぞれが自分の認識にあわせて記事を改変しているのです。

書物に関する項目を整理して、それを正確かつ適切に要約して、妥当な記事を作成するという意味で、Super11氏の提案を一応支持しますが、それには、書物の内容に関する各自の理解に基づくことが必要であり、その理解に基づいた評価を意見交換して改善していくという作業が必要だと思いますが、いかがでしょうか。 Sfwu 2008年6月22日(日)14:25 (UTC)

山田正行教授の評価部分についての復活は同意します。--Tyoron 2008年6月24日 (火) 11:36 (UTC)

注の13のこの部分

ワシントンアンドリー大学の東アジア史の教授であるロジャー・B・ジーンズは、本書を「不完全な歴史(half-baked history)」と評した上で、「当時の南京の人口を大きく水増しし」、「東京裁判を無批判に受け入れている」との批判をしている(The Journal of Military History 69 (1): 149–195)。

初めての記述なので、原文を取り寄せて、調べてみました。英語版のWikiに出ている批判なので、日本語版はそれを紹介したものと思いますので、英語版のほうで議論しなければならないかと思いますが、先に日本語版の議論に書いておきます。英語での議論は大変なので、すぐにそれに入れるかどうか、わかりません。

この論文は、日本における昭和の戦争を取りあげている博物館から、資料を取り寄せて、その博物館の戦争観、平和観、15年戦争に関する歴史観を評価しながら、日本社会の15年戦争に関する意識や状況を探ろうというものです。その書物の方向性としては、『ザ・レイプ・オブ・南京』と共通している部分もあります。しかし、この論文はあらゆる意味で、『ザ・レイプ・オブ・南京』の内容を評論したものではありません。また、この論文が明らかにしているものが、『ザ・レイプ・オブ・南京』の誤りなど、「弱点」を暴いたり、訂正している部分もありません。あえて言えば、『ザ・レイプ・オブ・南京』で構想していたプロットの一部について、アイリス・チャンよりも詳しく資料を集めて、それを紹介した程度の内容だと思います。しかも、出版年は2005年です。ある意味では、先駆者としてのアイリス・チャンが切り開いた議論の場に乗っている論文だともいえるでしょう。

ところが、この論文の先頭で、筆者は突然に『ザ・レイプ・オブ・南京』は不完全な研究だと断定し、その根拠として三つの文献を紹介しています(名前を挙げているだけで、内容には触れていません)。その中のひとつが、ジョスア・A・フォーゲルの1998年の書評です。私は、この書評が『ザ・レイプ・オブ・南京』の不完全性を学問的に証明したものであるとは絶対にいえないと思います。

だから、私は、『ザ・レイプ・オブ・南京』に対する批判として、この論文の取ってつけたような攻撃的な文節を紹介することは非常に誤解を招くものであり、不適切だと思います。そういう意味で、私はこの紹介の部分を除去したいと考えているのですが、英語版のWikiが元祖のようなので、先に英語版から取り除くよう、そちらで編集をしたいと思っています。英語版で私の主張を通したら、また日本語版に戻ってきて、日本語版からもこの部分を取り除こうと思います。

それ以外の部分では、今までと同様、無理をせずに時間が許す程度にこの記事とも付き合っていく予定です。ではよろしくお願いします。Sfwu 2008年6月27日(日)13:45 (UTC)


ロジャー・B・ジーンズ氏が『The Journal of Military History 69 (1)』149ページ・150ページで本書を批判しているのは事実です。削除に反対します。--Super11 2008年6月28日 (土) 14:46 (UTC)