ノート:ゴッドマン (インド)

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英語版の冒頭の「colloquial term」は「口語」であり、「用語」はたんに「term」です。口語とは記述言語ではないという意味です。この差異を明確にしてください。

colloquial term について。[編集]

新参者なので手続きが間違っていたらご容赦ください。この項目は数日以内に英語版を主体に翻案したものと推察されます。英語版冒頭の「colloquial term」を「用語」と訳出しているようにお見受けしますが、これでは「term」の部分しか訳されていません。「口語」とするのが正訳です。記述言語ではないという意味になります。日常語的な使い方であり、本来は学術用語ではないということです。オンライン版のオックスフォード辞書の第一義にも同様の解説がありますので、この差異を無視すべきではないと考えます。 Drachma12会話2020年10月29日 (木) 12:43 (UTC)[返信]

コメント 履歴にもあるように意訳を混ぜています。colloquial termは通常は「俗称」のように訳されますが、用語や言葉としたほうが分かりやすいかなと思いましたのでそのようにしています。「俗称」に変更したいのであれば反対しません。--Strangesnow会話2020年10月30日 (金) 00:36 (UTC)[返信]

カリスマ的な行者[編集]

「カリスマ的な行者」という一節の後のリンクの日本語記事には「行者」という言葉は出てきません。英語版の「godman 」にも相当語句が見当たりません。おそらく「yogi」を想定されているのでしょう。「ヨーガ行者」という用例は日本語書籍でもよく見られます。しかし、「行者」は単独の修行者を指す場合が多いです。山野で孤独な修行に励む人です。まだ修行中の身である、というニュアンスも考えていいでしょう。つまり信者や信奉者が多くいないのです。日本では役行者という神話上の人物がよく知られますが、大勢の信者がいたという話は少なくとも私は聞いたことがあリません。その点を勘案すべきではないかと考えます。つまり「指導者」というニュアンスの言葉が相応しいのではないでしょうか。 Drachma12会話2020年10月29日 (木) 13:19 (UTC)[返信]

よく見ると「カリスマ的な行者を名乗る男たち」とありますね。四人だそうですね。この記事の執筆者が宗教的な、またはインド関連の用語に不案内なのでしょう。明確な括弧付きの引用ではないので、「カリスマ的な指導者」とでもしてはいかがでしょうか。「行者」はいただけません。記事執筆者のミスです。間違いまで踏襲する必要はありません。 Drachma12会話2020年10月29日 (木) 14:25 (UTC)[返信]

コメント 「よく見ると」とありますが、出典をよく確認することなく直情的に自身の憶測や独自研究を披露する行動は慎んでください。出典に用いた記事では「...カルト集団は「ゴッドマン」(ヒンズー教のカリスマ的な行者)を名乗る男たちによって...」(参考) とありますのでそのまま記載しています。行者という日本語表現が誤りとするならば、そのような日本語資料を探してください。(他にすぐに見つかる適当な資料がありませんでしたので、この記事を用いていますが、正直、私もこれはあまり良い出典ではないとは思っています。)それはそれとして、直後に「...カリスマ的グルを指す」とありますので、それで充分であると思っています。--Strangesnow会話2020年10月30日 (金) 00:36 (UTC)[返信]

以下のリンクの記事が、この日本語記事のオリジナルに近いです。ぴったり同じかはわかりません。読んでいくと、政治的な革命を目指す集団で、別のマオイストのセクトによく似ているとあります。そして末尾にこの一文。


India is home to hundreds of semi-religious sects which are often led by charismatic self-styled "godmen".


Godman とはなにかの説明は日本語記事の執筆者がつけたかもしれません。英語記事中には「行者」に相当する語句は見当たらなかったです。この末尾の一文は、インドはあらゆることに宗教が絡むので(半宗教的セクト)、このような表現が出てくるのかもしれません。とはいえ、全文にざっと目を通したかぎり、社会主義革命を目指す集団といった説明がほとんどで、宗教的な修行をしているという記述は見なかったです。最後のgodman うんぬんはカリスマ的な指導者による熱狂的な集団が形成されやすい下地がインドにあることを説明したものでしょう。そして「行者」なる語は、godman の説明として、日本語記事の執筆者が付け加えたものでしょう。いずれにせよ、この翻訳記事を出典にするかぎりにおいて、確かに「行者」なる言葉があるものの、それはたぶん日本語記事の執筆者が付け加えたもので、英語記事中には「修行者」的な表現は見当たりません。この武力衝突の記事を根拠にするのなら、英語も日本語も本文中に「行者」らしきものは見当たらないという奇妙なことになります。それでも「行者」で押し通すというのなら、私は止めませんが、私なら常識に従って「指導者」とでもしておきますけどね。あとはどうぞご自由に。

https://tribune.com.pk/story/1115663/24-dead-clashes-sect-evicted-india?amp=1 Drachma12会話2020年10月30日 (金) 16:20 (UTC)[返信]

もうひとつ、この衝突事件を起こした集団の名称は末尾に「サティヤーグラハ」がつきます。インドの社会運動の末尾にはこの語がつくことが多いですが、「非暴力抵抗運動」とも訳されます。この集団の性格は多分に政治的であり、ガンディーの運動もそうでしたが、インドでは大義名分として宗教が欠かせないのです。本気で宗教色が濃いと思い込むと事態を見誤るかもしれません、念のため。 Drachma12会話2020年10月30日 (金) 16:38 (UTC)[返信]

コメント お願いなのですが、とても会話が見づらくなりますので、ノートページでは応答の際は字下げを行ってくださるようお願いします(Help:ノートページ#ページ上の話題への応答)。特に「ゴッドマン」を説明されている日本語資料のご提示はありません(英語による出典はすでにあり「The Illustrated Encyclopedia of Hinduism: A-M」ではGodomanの項で Colloquial name for particular type of charismatic Hindu ascetic...とあります)し「私は止めません」「どうぞご自由に」ということなので特に変更しません。--Strangesnow会話2020年11月1日 (日) 13:05 (UTC)[返信]
Strangesnow 様。では、コロンで字下げ、これでよろしいでしょうか。英語の The Illustrated Encyclopedia of Hinduism の該当箇所、おおむね穏健な内容のようです。いちばんの趣旨は伝統的な組織宗教に属さない指導者の呼称として、ときに口語的に用いられる、ということでしょうか。組織宗教も初期には伝統がなかったわけですし、日本でも事情は同様ですよね。伝統に基づかないこと自体は不健全なことではないし、むしろ伝統宗教の権威主義より健全な場合もあるでしょう。

Ascetic の訳語には、最後のほうに「行者」もあるので間違いではないですね(readers plus)。しかし、古めかしいので他の選択肢もあっていいかなとは思います。
スマホで入力してますので、タグが有効か確認できません。反映しなければ、次回から入力方法を考えます。 Drachma12会話2020年11月6日 (金) 03:27 (UTC)[返信]

返信 (Drachma12さん宛) わざわざありがとうございます。字下げは行ごとに有効になりますので、途中で改行してしまうと外れてしまいます。改行した場合は再度半角コロンの入力をすると、発言の字下げが揃います。また、brタグを使わなくても改行2回で改行されますので、ぜひご活用ください。スマートフォンからお使いの場合、ページの一番下の「デスクトップ」リンクから開くと、PC版から利用している人にどのように見えているか確認できます。(また、ぜひHelp:ページの編集#引用にも目を通してみてください。他の文献や発言などを引用・参照して議論する場合、とても伝えやすくなります。)--Strangesnow会話2020年11月11日 (水) 08:08 (UTC)[返信]


Strangesnow 様。慣れないことでご迷惑をお掛けします。ぼちぼち覚えますのでよろしくお願いします。この項目では、まだ私でもお手伝いできることがありそうですが、他の箇所で手一杯ですので、また改めてこちらに伺います。 Drachma12会話2020年11月11日 (水) 09:46 (UTC)[返信]