ノート:グランヴィル・ルーソン=ゴア (初代グランヴィル伯爵)
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翻訳にあたって。
[編集]英語版ウィキソースのDNB(個人記事がまだ作成されていないのでs:en:Page:Dictionary of National Biography volume 33.djvu/155とs:en:Page:Dictionary of National Biography volume 33.djvu/156)を底本に抄訳しました。なお母親が父親の何人目の妻だったとかいろいろ資料間で異同があったので、見比べて作成したつもりです。
DNBには、"He concluded a treaty ,which, however, proved practically inoperative, and in 1805 returned to England." という一文があります。この条約は時期と調印地からen:Treaty of Saint Petersburg (1805)ではないかと思うのですが、確証が持てないのとうまく訳せなかったので省いてあります。
スタッフォードシャーのトレンタム出身というのはThe Complete Peerageに書かれているのですが、他に出身地が書かれた資料がないので疑わしい気がします。en:The Gentleman's Magazineの訃報記事にすら書かれていないので…。―霧木諒二 2012年9月23日 (日) 04:23 (UTC)