ノート:クリオット・ディ=ティール

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この人物の存否について[編集]

この記事の人物の存否に疑問があるため未検証・正確性などを貼りました。以下のような疑問点があります。

  • 原語の綴り「Kliot di-thiel」や「Baguio Bartók」で検索しても(この記事以外)全く検出されない。
  • 著書(とされる)「Au sujet de Baguio Bartók」「Une description de sens」で検索しても、この記事の人物は検出されず(前者はこの記事以外出ず、後者は恐らく偶然同じ記述が含まれた文章が出ただけ)。
  • 参考文献として「梶野文平『理性主義とはなにか』、文文社、1948」が挙げられていたが、著者名・書名で検索しても(この記事以外)全く検出されない(出版社名だけは出ましたが、そこからの出版物は1冊しか検出されず、年代もかなり後であるため、同一かどうか不明です)。

と、非常に怪しげな状態であるため、コメントを募ります。上記に挙げた全ての綴り・表記が間違っているというのなら別ですが、仮にそうだとしても「正確性」案件ではあると思います。--松茸 2010年6月26日 (土) 03:37 (UTC)[返信]