ノート:ガリツィア

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第二次世界大戦前、ガリツィアがハンガリー支配下に入ったことはなかったはずだが?[編集]

ここに書き込んでよろしいのでしょうか? ガイドブック等を読みましたが、いまいち、よく理解できません。

「ガリツィア」の「1 概要」の「1.5 現代へ」に「第二次世界大戦前、ポーランドは分割され西ウクライナ(ウクライナ語版)はハンガリー、ルーマニア、そしてソ連によって支配を受けるようになった」という記述がありますが、第二次世界大戦の前にガリツィアの一部がハンガリーの支配下に入ったという歴史的事実はないはずです。

第一次世界大戦後トリアノン条約によりハンガリー北部がチェコスロヴァキアのスロヴァキアとして分離独立しました。この地域はカルパチア山脈の北側であるガリツィアではなく、カルパチア山脈の南側、カルパチア盆地の北部の山岳地帯です。第二次世界大戦後、このスロヴァキア領となった地域の東部がソ連のウクライナに編入され、盲腸のような細い回廊がカルパチア山脈を越えて伸びることになり、ハンガリーと国境を接することになりました。

このウクライナ領となった地域はハンガリー語ではカールパートアイヤと呼ばれていましたが、ソ連編入時にソ連側ではザカルパツカと命名されました。上の記事の筆者は、この第二次世界大戦後にウクライナ領に編入された地域もガリツィアに含まれると誤認し、第二次世界大戦以前はチェコスロヴァキアやハンガリー王国領だったことから上のような記述をするに至ったものだと推察いたします。

通常ならば、問題と思われる箇所を削除し、コメントを残せば良いのですが、私はハンガリーは専門であっても、歴史学ではないことと、ガリツィアのことは研究対象外であるため、念のため「ガリツィア」の項目の執筆に参加されている皆様のご意見をお伺いしたいと思い、ノートページに投稿してみました。しばらく待って何のコメントも付かないようでしたら、問題の箇所の「ハンガリー」に関する言及の部分は削除したいと思います。

--しい坊会話2014年3月21日 (金) 14:09 (UTC)[返信]