ノート:ガスパール・コエリョ

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出典資料の明示についてのお願い[編集]

IPユーザーによって説明なくリバートされましたので元に戻しておきます。なお、同様の記述にはいくつか疑問点がありますのであげておきます。以降、同様の内容を加筆される場合、以下の疑問にお答えいただいてからにしていただきたいと思います。

  • コエリョが秀吉を威圧した「巨大艦隊」とはなんのことか。当時、ヨーロッパのどこかの国が日本に巨大艦隊を停泊させていたのか。
  • コエリョが武装船に乗り込んで提督の扮装で出迎えたのという内容の出典はなにか。個人のウェブサイトなどでなく、歴史学者や専門家の著作あるいは第一次資料からお答えいただきたいと思います。

Gakuinryou 2007年9月17日 (月) 12:07 (UTC)[返信]

追記になりますが、IPユーザーによる以下の記述ですが、出典が不明です。本稿に限りませんが、項目の内容については出典あるいは論拠を明示の上で加筆していただきたいと思います。
  • 「しかしコエリョは、奴隷をポルトガル商人に売る日本人が悪いと開き直り、日本人に対して行われた奴隷貿易を黙認」
  • 「これを受けたコエリョはただちに有馬晴信のもとに走り、キリシタン大名達を結集して秀吉に敵対するよう働きかけた。」
  • 「そして自分は金と武器弾薬を提供すると約束し、軍需品を準備した。」

Gakuinryou 2008年8月27日 (水) 13:11 (UTC)[返信]

再び同じユーザーによって同じ書き込みがされていますが、ぜひ上記のノートおよびWikipedia:検証可能性をごらんの上、出典を明らかにして記述してくださるようお願いします。Gakuinryou 2009年2月13日 (金) 08:11 (UTC)[返信]
大村由己の「九州御動座記」http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-1.html池本幸三/布留川正博/下山晃共著 『近代世界と奴隷制―大西洋システムの中で』人文書院--ロンダルキア 2009年6月23日 (火) 02:12 (UTC)[返信]

インデント戻します。上記で「出典」だという『近代世界と奴隷制』を手元に取り寄せて確認しましたが、本文とは関係ないコラム的な部分(見開き2ページ、p158~159)に出典や脚注などもなく「秀吉がコエリョを詰問した」とあるだけで、私が疑義を示した部分についての記述はまったくありませんでした。また『九州御動座記』(『織豊政権とキリシタン~日欧交渉の起源と展開~』収録)もあわせて確認しましたが、コエリョに関しては何も記されていません。上記ウェブサイトに関してはそもそも専門家が書いているものではないのでこれを出典というのはやや無理があるかと思います。ウィキペディアに何かを書くのは自由ですが、こと歴史に関する項目である以上、「~のウェブサイトにこう書いてあった」程度のことを書き込むのはどうかと思います。参考文献としてのウィキペディアの信頼性向上を願う一ユーザーとして繰り返しお願いしたいのですが、本ノートをよく読んだ上で、出典を示した上での加筆をお願いします。なお、これは私の個人的な方針ではなくWikipedia:検証可能性にもとづいたものであることもあわせて確認しておきます。Gakuinryou 2009年8月14日 (金) 08:22 (UTC)[返信]

出典に関する問題の再燃[編集]

ウィキペディアの記事の出典には、信頼できる情報源を使用するべきですが、以下の内容や編集には問題があると考えます。

日本人奴隷の売買については約5万人が海外へ連行されたと推定されているが[2] — 2021年10月16日 (土) 09:26‎ Izaya Bendasan 会話 投稿記録‎ 6,576バイト +576‎ 記述を追加しました 取り消し タグ: ビジュアルエディター

この主張の根拠となる出典です。

 「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断、リーダーシップ・教養・資格・スキル” (日本語). 東洋経済オンライン (2021年6月8日). 

執筆者は「石川県生まれ。経済紙記者として現役で活躍するかたわら、歴史への探究心とその該博な知識を活かし、歴史の意外な側面にスポットを当てる書籍を"黒子"として数々執筆。参画した書籍のベストセラー多数。本作は、その名ではじめて世に出す、ひと味違う日本史教養本である。」という紹介の通り、専門家ではありません。査読された論文を公刊した実績は確認できず、内容も査読論文ではなくオンラインサイトの記事であり信頼できる情報源とは言えません。

ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。

2007年から2009年の出典資料の明示についてのお願いの話題で議論されていた内容の焼き直しも混入しているので、異論がないようであれば削除しておきますが、Wikipedia:信頼できる情報源を良く読んでから投稿してください。--2400:2410:C1A3:5300:81FC:87B7:8545:440F 2022年2月6日 (日) 06:11 (UTC)[返信]

この件については長い間、異論や新出典の提示がないので削除します。また伊勢神宮へのバテレン追放令の奉納を発布と同時にしたと誤解されかねない記述も見られたので削除しました。伊勢神宮は保管していただけで、保管された由来は明確では無かったはずです。伊勢神宮の由来で適切な出典があるようであれば再度投稿してください。--2400:2410:C1A3:5300:9A18:7164:48BE:959B 2022年6月4日 (土) 10:36 (UTC)[返信]