ノート:エクラノプラン

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項目「エクラノプラン」

原文「エクラノプラン(ロシア語: Экранопланエクラナプラーン)とは、ソ連で開発された地面効果翼機 (WIG) の総称で、・・・」
修正提案:エクラノプランはロシア語で表面効果翼船のこと。
理由:
1.エクラノプランをソ連で開発されたものに限定する必要はないし、他国で開発されたものを含めてこの用語を使うこともあるので誤解を招く。
2.表面効果翼船の実際の使用局面は水上が多いので地面効果翼機(WIG)の用語も適切ではない。

原文「冷戦期において、エクラノプランは大型かつ高速展開可能な輸送戦力として長期にわたってカスピ海沿岸部に配備されていた。」
修正提案:冷戦期において、エクラノプランは大型かつ高速展開可能な輸送戦力としての用途が考えられ、カスピ海沿岸部に配備される予定であった。」
理由:実際にソ連海軍に納入されたエクラノプランはオルリョ―ノク3艇、ルーン1艇のみであった。

原文「エクラノプランの開発は、1940年代よりソ連の軍事部門において開始された。」
修正提案:エクラノプランの開発は、1940年代より開始された。
理由:初期の開発で有名なESKA-1等は軍事部門による開発とは思われない。

原文「1961年には最初のエクラノプランSM-1が「初飛行」を実施した。SM-1は水中翼船のような従来の高速船とは比較にならない200 km/hという高速力を発揮した。形状は全長20 mの細長い船型の胴体を持ち、「翼」は幅10 m程度のごく小さな補助的なものであった。」
修正提案:1961年には彼らの最初のエクラノプランSM-1が「初飛行」を実施した。SM-1は水中翼船のような従来の高速船とは比較にならない200 km/hという高速力を発揮した。形状は全長20 mの細長い船型の胴体を持ち、「翼」は幅10 m程度のごく小さなもので前後タンデム式であった。
理由:SM-1がソ連で最初のエクラノプランかどうかは不明。「補助的」と言うのは、他に主要なものが存在する場合に用いる言葉である。

原文「1964年にはSM-5が墜落し、」
修正提案:1965年にはSM-5が墜落し、
理由:この事故は1965年8月と言われている。

原文「この年には、事故を教訓に取り入れたSM-2P7が製造された。」
修正提案:1964年には、SM-2P7が製造された。
理由:SM-2P7の製造年は1964年。従って、1965年の事故の教訓を取り入れたものではない。

以下、余りに多数の要修正箇所があるので、個々に説明するのを省略する。
--久保昇三 

--106.174.65.83 2014年7月29日 (火) 03:05 (UTC)文組が崩れて読みづらいので改行を入れました[返信]