ノート:インパール作戦

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事実を歪曲したデタラメな内容[編集]

牟田口中将とインパール作戦に対する批判本は中身はみな、お決まりのほぼ同じ内容ですが、 定説化されたそれらは事実を歪曲しておりデタラメです。

1ヶ月程度でインパールを攻略するというこの作戦は、 さほど無謀な作戦ではなく、また作戦計画(補給を含めて)も十分に練られたものであり、 予定通りに普通に作戦を遂行していれば難なく成功していた作戦です。

このことは連合軍の司令官、参謀など当時の関係者の多くがそのような 見解の記録を残しており、日本での定説、評価とはまったく異なります。

連合軍側の見解では、師団を指揮した師団長(特に31師・佐藤、33師・柳田)らが あまりにも消極的で進行を遅くさせ、そのために日本軍は勝てた作戦で負けに転じた (わざと勝たせたとも)と評してます。 これは多数の連合軍関係者が同じ見解です。英国公刊戦史にも記載されてます。

その他にもインパール作戦では定説化された嘘が多数あります。

●補給を無視した、補給をしなかった、険しい道なき道を進行したという定説の嘘

補給が無かったのは参加した三個師団のうち、31佐藤師団だけです。 他の2個師団には補給されてます。 また33師団は連合軍の物資集積拠点をほぼ無血で確保し有り余る物資(武器、弾薬、車両、燃料、食料) を得ており、もし補給なしでも物資を持て余しています。 (シンゲルで師団2か月分の物資を確保したとの記録があります) 15軍の作戦計画である期間の1ヶ月程度、長くても2ヶ月程度では補給はまったく問題ないです。 (作戦が延長され4ヶ月にも及んだのは、参謀本部、南方軍の判断で牟田口の判断ではありません)

補給が無かったのは31師・佐藤師団だけです。 しかしこの部隊は敵の背後へ回り込むという、日本軍がもっとも得意とした迂回、浸透戦術の部隊です。 こういった特殊な任務の部隊は、普通、作戦が終了するまで補給が無いのは当たり前です。 佐藤師団長も、そんなことは百も承知だったはずです。 実際に15軍の想定した1ヶ月は物資に何の問題もありませんし、 2ヶ月間は問題無かったわけですから、補給が尽きた責任は15軍・牟田口の責任ではありません。 作戦延長の判断は参謀本部によるものです。

(参謀本部の判断は中国からB29で日本本土を空爆するという連合軍のマッターホルン作戦を阻止すべく発令された 大陸打通作戦との兼ね合いから、ビルマに米支軍を引き付ける意味でインパール作戦がさらに重要となったため) (またチャンドラボースも作戦中止に猛反対したため、日本軍のインパール作戦中止の判断が遅れました)

進行経路は険しい山岳地帯の道なき道を進行した、という話も嘘です。実際には道路が完備されています。 33師団、15師団の進行経路は全てトラックが通れる道路が整備されてますし、 もっとも険しいとされた佐藤31師団の進行経路でさえも、実は連合軍側によってジープ道が整備されており それを利用し道なき道では無かったことが判明してます。 牟田口15軍はそれらを綿密に調査した上で作戦を立てています。

●参謀ら皆が無謀だと反対していたという嘘。

参謀らが反対したのは、以前の計画のウ号作戦です。 これはインド、アッサム州を攻略するという作戦であって、 それより遥か手前のインパールを攻略するインパール作戦とはぜんぜん別物です。 話がスリ変えられています。

●白骨街道の嘘

撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団(山内師団)だけです。 31師団(佐藤師団)と33師団は飢餓に苦しんでいません。 また餓死者が多数という話も嘘です。 飢餓に苦しんだ15師団でも、餓死という記録はまったくありません。 負傷兵が撤退をあきらめて自決したのがほとんどです。

撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団の特に60連隊(松村連隊)だけです。 しかしこの白骨街道の話の当事者である60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)は驚くべき内容です。 60連隊が悲惨な撤退を強いられた原因は、佐藤師団の抗命、無断撤退が原因であるとして、 佐藤師団を激しく非難した内容です。牟田口に対する批判は一つもありません。

60連隊が飢餓で苦しむ2ヶ月の撤退を強いられた要因は(白骨街道となった) 佐藤師団(烈師団)の無通告撤退、撤退時に集積所の食料を強奪したためだと明確に書かれ、 31師、烈師団を「劣師団」だと激しく非難しています。

インパール作戦の資料として日本で最も価値のある一次資料は この60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)で間違いありません。 連合軍側の資料では、スリム中将の「敗北から勝利へ」です。

全てのインパール作戦本は、この二つの資料をソースとして書かれているはずです。 奇しくも両資料とも、佐藤師団に対する激しい批判が共通しています。そこに重点が置かれています。 牟田口15軍に対する批判はまったくありません。 しかしどの書籍にも、この肝心要の両資料の一番言いたかったことが作為的に削除、改ざんされてきました。 (スリム中将の佐藤批判を、牟田口批判であるかのように改ざんされてます)

他にも定説化されたインパール作戦批判は、事実の歪曲が多数あり突っ込みどころが満載です。 とても書ききれません。

なおこれらの貴重な情報は歯科医師、軍事研究家であった故・大田 嘉弘氏の功績です。 氏が始めてその全貌を書籍で明らかにしました。

戦後の日本の権力者は、陸軍の一部の人物を悪党に仕立てる手法で、海軍や政党、マスコミの戦争責任を 国家ぐるみでゴマカしてきました。それに迎合してきた文化人や学者、マスコミのほうこそが、 戦前の日本の悪しき体質を引き継いでいると言えるでしょう。 ——以上の署名の無いコメントは、118.8.62.75ノート/Whois IPv4IPv6)さんが 2018年8月28日 (火) 13:18 に投稿したものです(2402:6B00:5609:EF00:C9D1:BD8D:844E:D1FAによる付記)。

演説は自分のサイトでやってください。 --2402:6B00:5609:EF00:C9D1:BD8D:844E:D1FA 2018年8月28日 (火) 13:33 (UTC)