ノート:イデア論

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「かみくだいて言えば、視覚的(感覚的)な事柄の奥に真実が隠されている、ということ。人間は、感覚に惑わされず、一歩踏み込んで真実に迫らねばならぬと言うこと。」 とかいてありますが、これって誰の解釈ですか?。プラトンはこんなことを言ってたんですか?。 適当なことを書かないで、ちゃんと裏を取って書いてください。お願いします。Azu 15:56 2004年2月10日 (UTC)

しかし、最初の書き方では、初めて読んだ人にはサッパリ分からないと思いますが?百科事典とは、様々な理解能力を持った不特定多数の人々が知識を共有するためのものであって、単に説明しさえすれば良いというものではないと思います。月臣くにひと 16:03 2004年2月10日 (UTC)

オレは自称アマチュア小説家です。オレの記事は、「中立な記事」に近づくための起爆剤と思ってください。そういうのってアリでしょ?ウィキでは。月臣くにひと 16:09 2004年2月10日 (UTC)

ナシだと思います。あなたの書き方は非常に他力本願に聞こえます。なぜ調べて書こうと思わないのでしょうか。Wikiには豊富な知識をもった書き手もいますが、私を含め多くの書き手はあまり知識を持っていません。知識をもっていない代わりに、その記事について調べたり、勉強したりして書いています。あなたは「起爆剤」と簡単に言いますが、それはある意味、大変傲慢な言い方ですよ。
「様々な理解能力を持った不特定多数の人々が知識を共有するためのものであって」確かにこれは正しいです。しかし、だからといって「書き手」の理解能力が不足してよい理由にはなりません。確かに専門用語を並べるのみで、意味不明の記事もあることは事実ですが、わかり易い記事が間違った説明になってしまったら意味がありません。もとの概念について(ここでならイデアについて)正確な知識が無ければ、「様々な理解能力を持った」人に分かる文章にすることは出来ないはずです。Azu 16:29 2004年2月10日 (UTC)

なるほど。月臣くにひと 16:39 2004年2月10日 (UTC)

「円」を例に取ったところがとても分かりやすくなったと思う。素人勘定で言わせてもらえば、この例によって、「イデア」というものが生活や思考のさまざまな場面に隠れていることが感じられる。ウィキも中立と言う名の一種のイデアを求めているし、その過程で、「共通の原則」とか「簡潔な表現」とか言うことも出てくると思う。勉強になりました。ありがとうございます。月臣くにひと 17:41 2004年2月10日 (UTC)

追伸:「イデア」という考え方が今までよりももっと好きになりました♪月臣くにひと 17:47 2004年2月10日 (UTC)