ノート:アジア無線

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アジア無線の疑問点[編集]

  • 会社プロフィールや財務の情報が欲しいところ。会社四季報(1991年非上場版)には掲載なし。武蔵小金井さんによれば、帝国データバンクで会社検索すると以前は「本社所在地:千代田区神田佐久間町1」でヒットしたとのこと。
  • 今、アジア無線で検索すると「本社住所:長野県伊那市伊那部3023」の会社がヒットする[1]。これは同じ会社なのか、それとも、神田佐久間町1にあった会社はすでになくなっていて無関係な会社なのか?
  • 秋葉原店舗について開店時期は不明。3号店の場所は大体の位置だけで特定に至っていない。
  • 秋葉原以外の店舗については、飯田百貨店安行店にテナント出店していたという情報のみ。
  • FC契約に関して日経の記事のみで、フランチャイザーであるラオックス側の情報が見当たらない。2000年出版の『ラオックス70年史』にいっさい記載は無いし、プレスリリースや過去のWEBサイト更新情報にも見つからないのは不自然。本当にFCだったのだろうか?

情報提供をよろしくお願い致します。--Wolf359borg 2011年2月18日 (金) 17:48 (UTC)[返信]

(追加情報)
  • “秋葉原再編、揺らぐ家電専業、中堅老舗が脱落――シントク・広瀬以外にも苦戦”. 日経流通新聞 (日本経済新聞社): p. 1. (1993年10月28日) 
  • 7月にアジア無線、9月にミオスが閉店
専門紙(日経本紙は一般紙)の1面掲載なので、こちらの7月というのが正解だと思う。
  • 91年11月にアジア無線と商品の委託契約販売を結び、支援に乗り出したのが、秋葉原最大手のラオックス
日経本紙の記事では、11月までに提携申し入れてその後締結、と読める曖昧な記述だったが、締結は11月と明記されている。そして、FC契約にしては店舗をラオックスに転換するなどの動きが無かった事や、ラオックスのプレスリリース等で一切触れられていないなど疑問だったが、「頼まれて同業他社を救済しただけ」と考えれば納得がいく。
  • アジア無線の廃業に際して、同従業員から「ラオックスが債権押さえてるから退職金が出なかった」とラオックスに憎まれ口、ラオックス内田社長いわく「アジア無線の主力銀行から頼まれて支援に乗り出したのに、こういう結果になったのは残念。もう同業他社に手を出すのは懲りた。」
ラオックスとしてはあまりメリットがなかったが、頼まれたので支援した、ということらしい。しかも助けた相手に憎まれるのだから、社史でも一切触れてないのも当然か。
  • 日本経済新聞社発行の『会社総鑑 未上場会社版』の1991年、1992年を調べたが、アジア無線は載っていなかった。
--Wolf359borg 2011年2月19日 (土) 15:06 (UTC)[返信]

店舗の位置についての情報です。

  • アジア無線3号店なんですが、「秋葉原・電気街でとことん得する本」(松本新・KKロングセラーズ・1989年)によると、八木電器と松本電機工業に挟まれた位置にあったようです。さらに店舗の詳細が1階部分しか記述されていませんでしたので、亀松ビル内にあったのではないかと思います。
  • 前述の本によると、アジア無線2号店はミツウロコビルの駅側入口にあった東映無線の隣にあったようです(駅側から入ると東映無線の奥になる)。
----武蔵小金井 2011年2月21日 (月) 09:55 (UTC)[返信]
(コメント)情報ありがとうございます。リバティ7号店の場所ではなさそうですね。1991年の住宅地図を見たのですが、それだと秋葉原駅に近いほうから上野方向へ順に、マヤ電気、光東電気、関東変圧器材工業、松本電気工業、亀松ビル(5階建)となってました。松本電機工業は亀松ビルに食い込んでいるように描かれているので、亀松ビル内かもしれません。八木電器の位置はどこになりますか?--Wolf359borg 2011年2月21日 (月) 10:41 (UTC)[返信]
旧亀松ビルは2005年頃に取り壊し、2007年に同じ場所に新築されています。旧八木電器は2005年当時のアキバBlogの写真を見る限り、松本電機工業(「松」の字が見える)の北隣の亀松ビルに「てんや 末広町店」(新築後に再出店)があり、その隣が空き店舗で八木電器はその隣です。そして空き店舗のシャッターが黄色いのですが、これがアジア無線跡(=1号店が黄色いビル・看板だったから)だと確定するにはあまりにも早計なんで、まだ検証する必要がありそうです。--武蔵小金井 2011年2月21日 (月) 11:17 (UTC)[返信]
すみません、追記します。松本電気工業は旧亀松ビル内です。その隣がてんや、隣一つ空き家で、その隣に八木電器です。--武蔵小金井 2011年2月21日 (月) 11:47 (UTC)[返信]
ご親切にどうも。写真見ましたが、黄色のシャッターでたぶん間違い無いでしょう。「明るい店内、笑顔で応対、業者歓迎」いかにもです。アジア無線に暫定で反映しました。--Wolf359borg 2011年2月21日 (月) 12:05 (UTC)[返信]

(情報?)

大した情報ではないのですが、東京都全住宅案内図帳千代田区北部(1965年・人文社)を参照したところ、当時のアジア無線は、ラジオ会館が1972年に増築した部分にありました。位置は佐伯無線の南隣。もし当時から佐伯無線の店舗位置が変わっていなければ、ラジオ会館内の現・マックスガレージの辺りでしょうか。
アジア無線1号店があの位置に開店したのは、現在の第2中栄ビルが出来てから(1980年以降)で、それまでは朝日無線TV店→ナカウラ工具センターがあの位置にあった。他の位置にアジア無線の表記が見当たらないことから、アジア無線はどうも他の量販店に比べて遅くに大きな店を構えたようです。--武蔵小金井 2011年2月23日 (水) 10:10 (UTC)[返信]

(情報追加)帝国データバンクの中堅企業要覧に記載がありました。

  • 『東京の中堅企業15,000社要覧 : 業種別・50音順』帝国データバンク、1991-1993。全国書誌番号:00077056 
  • アジア無線(株)は91-93年に掲載、97年から(94-96年は見れなかった)は載っていない。93年は売上高が記載されているが利益が―となっており、状況は分からないがやはり93年で廃業したと思われる。
  • 91-93年の売上高(百万円)は、4,000、4,115、3,600、決算期は10月。

--Wolf359borg 2011年2月21日 (月) 10:41 (UTC)[返信]

秋葉原を捨てて郊外で営業続けることも難しいでしょうし、多分1993年廃業で間違いないと思いますね。これ以上確認するには九段にある東京法務局で閉鎖登記簿とってくる以外無さそうですが…。--武蔵小金井 2011年2月21日 (月) 14:04 (UTC)[返信]

会社設立以前の駅前のアジア無線について[編集]

1960年版の東京都全住宅案内図帳で、ラジオ会館の場所(マックスガレージの辺り)に「アジア無線KK」の表記があります。1970年の地図でも確認できます。しかし、1963年創業、1974年に株式会社化という岸氏の経歴と食い違います。単に帝国データバンクの調査に誤りがあったのかもしれませんが、岸氏とは別のアジア無線だった可能性もあるかと。長野県にあった同名の電子部品メーカー(創業1953年)の存在も気になるところですし。岸氏は、その「アジア無線」の屋号を譲り受けて会社を興した…のかも? --Wolf359borg 2011年5月4日 (水) 18:07 (UTC)[返信]

2011年5月4日 (水) 18:04 (UTC) 編集の説明[編集]

変更内容について、以下説明致します。

  • 脚注を注釈と個別出典参照に分離。また複数参照の文献の書誌は参考文献節に置いて参照するようにした。
  • 帝国データバンクの年鑑・名鑑、日経の新聞記事などの出典を元に加筆
  • 会社情報テンプレートは1993年10月期の情報、本文中で最盛期の1985年の情報を盛り込んだ。
  • 沿革の節を設けるほどの確たる情報が得られなかったので概説・沿革という節にした。
  • 創業者の経歴が興味深かったので記事に盛り込んだ。また経営不振の原因についての発言も引用した。
  • 店舗展開の節は、秋葉原の店舗の名称は『秋葉原・電気街でとことん得する本 : 全店マップ&データ380』に準拠。
  • 住宅地図の記載を注釈で示し、時系列の参考になるようにした。
  • 詳細不明だが朝霞市、川口市、浦和市(さいたま市浦和地区)、市川市への出店があったらしい。

--Wolf359borg 2011年5月4日 (水) 18:07 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

アジア無線」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2018年3月17日 (土) 07:53 (UTC)[返信]