ノート:アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

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「確かな資料」があるかどうかが、まさに争点なのだと思います。伝聞口調になるのは NPOV からしかたないかと。Aphaea 15:04 2004年5月5日 (UTC)

南京大虐殺などでもそうですね。というわけで、このままにしておきます。ありがとうございます--おが 15:17 2004年5月5日 (UTC)


アウシュビッツと関連性の文章上認められない部分、将来の展望についての個人的な意見と取れる部分をコメントアウトしました。被害者数を書き換えていた、という部分についても、執筆された方は資料をお書き添え頂けないでしょうか。全面的な改定が必要なように思われます。--Gleam 2004年7月11日 (日) 09:46 (UTC)[返信]

コメントアウトなさるのは結構ですが、「歴史的修正主義」でグーグル検索なさればプレサックの恥は容易に出てきます。唯一修正主義者に歩み寄った彼も亡くなりましたが、、。--Noda,Kentaro 2004年7月13日 (火) 19:42 (UTC)[返信]

移動[編集]

記事名をアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 にかえたいのですが、いかがでしょうか。これは私が参加して間もない頃に立てたために、記事名のつけ方などの監修を踏まえずにつくってしまったものでして。。ハイフンを使うことはほとんどないので、いまからでも=を使った表記にかえたいのですが。--Aphaia 2005年8月31日 (水) 06:12 (UTC) 0ok[返信]


編集参考資料[編集]

1 収容所の概要 2 収容所の存在・抵抗組織 3 収容所での暮らし 4 懲罰・人体実験・拷問・死刑 5 ガス室・焼却炉 そして解放

以上加筆にあたり、ポーランド国立オシフィエンチム博物館案内書、博物館公認ガイドによる解説を参考にしました--Koushibom 2006年1月4日 (水) 17:11 (UTC)[返信]

敷地見取り図[編集]

ドイツ語版に著作権フリーで敷地見取り図の画像があります。Commonsにアップして、日本語版でも使えるように出来ないでしょうか。Mishika 2006年7月20日 (木) 03:03 (UTC)[返信]

ユダヤ人以外の被害者[編集]

ユダヤ人以外にもジプシー精神障害者肉体障害者同性愛者、ソ連の捕虜なども被害者となっていることについても強調したほうがいいのではないでしょうか。--Tamachan21 2006年10月21日 (土) 13:08 (UTC)[返信]


写真説明の訂正について[編集]

中段にある写真の説明で、「ビルケナウ収容所の焼却炉跡 2001年撮影」とあるが、焼却炉ではなく、「SS用のトーチカ」が正解。 終戦間際に、空爆を恐れたナチス・ドイツが収容所の柵の外に数箇所建設したが、実際に使用される事無かった。 [利用者:Kazu]2006年12月19日(火)12:44(UTC)

明らかに間違いであるため削除しました。--Uhao 2007年9月13日 (木) 08:06 (UTC)[返信]

一部再編集についての提案[編集]

「収容所の概要」の項について、「オシフィエンチム博物館案内書、博物館公認ガイド」および、研究者の発表記事(Webサイト)、その他書籍をもとに既存の情報を生かしつつ情報を整理し、再編集を行いました。ご覧いただき、ご意見をお聞かせください。 ◆以下、提案する新規原稿。Uhao 2007年9月7日 (金) 16:28 (UTC)[返信]

・「’タイトル)概要'」について、1週間経過して特にご意見がありませんでしたので、「本文」に移動させていただきます。ご確認ください。また、引き続き新規編集中の原稿についてもよろしくお願いいたします。Uhao 2007年9月13日 (木) 05:54 (UTC)[返信]
・「’タイトル)各強制収容施設の概要'」について、本文に移動しました。改めて精査のほどよろしくおねがいいたします。


タイトル)概要

「本文」へ移動済み。Uhao 2007年9月13日 (木) 05:54 (UTC)[返信]


タイトル)各強制収容施設の概要

「本文」へ移動済み。Uhao 2007年9月16日 (日) 14:31 (UTC)[返信]

ページタイトル改題についての提案[編集]

ページタイトルが「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」となっていますが、もともとの原稿がビルケナウのみにではなく、アウシュビッツ全体に関することについてふれておりましたし、また、ビルケナウひとつ取り上げることよりも、強制収容所が相互的に機能していたアウシュビッツは全体として取り上げたほうが、合理的に説明ができると考えています。そこで「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」から「アウシュビッツ強制収容所」への改題を提案したいのですが、まずはご意見をおきかせください。Uhao 2007年9月7日 (金) 16:28 (UTC)[返信]


改名提案についてのみ意見を残します。この施設は1979年に Auschwitz Concentration Camp という名称で世界遺産に認定されておりました。しかし、ポーランドの提案によって、2007年6月に Auschwitz Birkenau という名称に変更されました[1]。したがって、世界遺産の記事として捉えるなら、現在の名称の方がふさわしいと考えます。---Redattore 2007年9月8日 (土) 15:19 (UTC)[返信]


改名提案についてご意見ありがとうございます。当ページを「ユネスコが認定した世界遺産の紹介」とした場合、確かにユネスコの規定した「ビルケナウ」をタイトルに用いるべきと考えます。
ただ、私が申し上げたいのは、アウシュビッツという全体が機能して生み出された悲劇を、あえてその一部だけを抽出して紹介することの無意味さについてです。実際それが不可能なため、既存の原稿では、構成および情報があいまいなまま掲載されていたり(数値が正確でないということではありません)、あいまいなゆえに深く掘り下げができないでいる感があります。
また、ビルケナウに象徴される「悲惨さ」「陰鬱さ」のみを伝えるのではなく、アウシュビッツの各システムがどのようにして作られ、またそれが人の心に作用しさらに発展してしていくかのありさま、そして結果として生まれた悲劇をしっかり伝えることで、正しい歴史認識が育まれ、二度とこのような過ちを犯さない強い知識となると考えます。当ページは「ユネスコが認定した世界遺産の紹介」ではなく、執筆する方々が優れた情報を迷うことなく投稿でき、また読む方が全体をしっかり捉えることができるものとするため、その手始めとして「アウシュビッツ強制収容所」への改名を提案しております。
予断になりますが、日本人が客観的に戦争を考えるのに良い題材ではないでしょうか? その考えるを育むためにも、全体を見据えていることをまずはタイトルから表現してはいかがでしょう?(アウシュビッツはかなりハードルの高い題材であるとは私自身認識しております)Uhao 2007年9月9日 (日) 10:13 (UTC)[返信]


ポーランド語版ではAuschwitz-Birkenauがタイトルとなっているようです(秀逸な記事)。--121.112.179.28 2007年9月10日 (月) 16:06 (UTC)[返信]


確かにそうですね。「秀逸な記事」と書かれたのは、タイトルに内容は影響はされないということを指摘されているのでしょうか? おっしゃられたいことがもしそうだとして、私が記載した「執筆する方々が優れた情報を迷うことなく投稿でき、また読む方が全体をしっかり捉えることができるものとするため」とした部分について、ポーランドの方と日本人はその状況(アウシュビッツを扱うにあたっての言葉の問題や地理的問題、さらには伝承の状況など)において同等と見ることができますでしょうか?Uhao 2007年9月10日 (月) 17:43 (UTC)[返信]


翻訳のお願い[編集]

下記原稿を翻訳してくださる方いらっしゃいませんでしょうか? よろしく願いいたします。Uhao 2007年9月20日 (木) 16:21 (UTC)[返信]

Buchenwald 16 avril 1945

Liberation of the Nazi camp of Buchenwald.

Photo taken by Jules Rouard - Belgium (my father-in-law)

War volunteer incorporated to the 1st American Army 16éme Bataillon de Fusiliers

Prisoners dormitory – 3 man by box

なんだか写真のキャプションのような文章ですね。以下のように訳してみました。---Redattore 2007年9月20日 (木) 17:33 (UTC)[返信]
ブッヘンバルト強制収容所、1945年4月16日
ブーヘンヴァルト強制収容所の解放
ベルギー在住の義父Jules Rouardが撮影
合衆国陸軍第16歩兵大隊所属の志願兵
囚人部屋 箱に入った3人の男性
ありがとうございます。おっしゃるとおり写真のキャプションです。アウシュビッツの画像かと思っておりました>< お手数おかけしました。Uhao 2007年9月20日 (木) 20:17 (UTC)[返信]

「記憶の最後に」をさし戻した件について[編集]

アウシュビッツを研究したひとつの成果、さらに申せば、アウシュビッツに関して数少ない後世に伝えるべきひとつの教訓として掲載させていただきました。218.110.115.163 さんの 「この節は、敢えて取りあげる価値はないと思われる」について、その理由をある程度明示していただければ幸いです。なにとぞよろしくお願いいたします。--Uhao 2007年12月22日 (土) 16:36 (UTC)[返信]

この節について違和感を覚えたので記入いたします。アウシュヴィッツで亡くなった方は、「愛」「美」「夢」を持っていなかった、あるいは希薄であったのでしょうか。仮にそうであったとして、それを確かめる手段は当時でおいてですらなかったはずであり、生存者に対する研究のみをもって”アウシュビッツを研究したひとつの成果、さらに申せば、アウシュビッツに関して数少ない後世に伝えるべきひとつの教訓”とするのは根拠に乏しいと考えます。--Drotup 2010年10月24日 (日) 04:26 (UTC)[返信]
研究者による「研究結果のひとつ」として捉えることはできませんか? ですので万人に肯定されるものでなければならないというわけではありませんし、反対の意見や別の研究結果があるのであれば、それぞれ研究結果を掲載すれば良いと考えます。いかがでしょう? --Uhao 2010年10月26日 (火) 03:12 (UTC)[返信]
例えば死亡者数などは明らかな事実についての議論でありますが、死亡者の性格の傾向については独自の考えについての議論であります。ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありませんそのようなことを書くことが適当な状況もあるかもしれませんが、今回の場合はそれを読んで不快に感じられる人がいる可能性(遺族の方々など)もあり、適切ではないと考えます。--Drotup 2010年11月6日 (土) 17:14 (UTC)[返信]
ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません」について、申し訳ありませんがそもそも私の独自研究を発表しているわけではありません。先にも記述しましたが、研究者による「研究結果のひとつ」です。まずこの点ご理解いただけますでしょうか? 「死亡者数」を引き合いにだしていらっしゃるようですが、「明らかな事実についての議論」とはいかなることでしょうか? 研究または議論についても公式・非公式があるということですか? 今回の件については「査読されている情報」の原則に則り展開しております。さらに「読んで不快に感じる人がいる」とされていますが、この点について詳しくご説明ください。なぜ不快なのかが判然としません。--Uhao 200年12月7日 (火) 04:03 (UTC)
この状況であなたの娘は「愛」「美」「夢」を持っていなかったから死にました、と言われれば不快に感じると思います。「愛」「美」「夢」を持っていたとしても、死に至る環境にさらされれば死にます。それを「愛」「美」「夢」を持っていなかったので生存しにくかったといわれれば不快に感じませんでしょうか。そもそもその理論に対する反証は行われているのでしょうか。死亡者数や当時の実態などは多くの学者によって生存者や資料を基に議論され続けています。死亡者数とは当時亡くなられた方の数であり、人体実験とは人に対して行った実験ですが、「愛」「美」「夢」とは具体的に何を指すのでしょうか。身長が何cm以下の子供は死亡率が高かった、体脂肪率が何%以上であれば生還しやすかったであればわかりますが「愛」「美」「夢」はどのように計るのでしょうか。--Drotup 2011年2月5日 (土) 00:16 (UTC)[返信]
改めて申し上げますが、『「愛」「美」「夢」のいずれかを持続した人が生き残った、と結論付けるものがある。』と記述しております。つまり「研究結果のひとつ」であり、あくまで第三者による研究を紹介しているにすぎません。この研究が真理であるかどうかを議論するつもりはありません。もし、この研究が道義的理由や研究価値として問題があるということでしたら、「正しい研究とは?」という定義についてではなく、まずはご自身で研究について検証し、反証することをおすすめします--Uhao 2011年4月13日 (水) 05:02 (UTC)[返信]

「研究結果のひとつ」であり、あくまで第三者による研究を紹介しているにすぎない、ということですが、それではなぜ様々な生死に関する人間の特性の研究がある中であえて「佐久間章行著『人類の滅亡と文明の崩壊の回避』p.218-219」をもってのみ取り上げるのでしょうか。今一つこの部分を「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」のページに乗せる理由が理解できません。 >>まずはご自身で研究について検証し、反証することをおすすめします 先にも申しましたが、定量的でないこのような研究に検証、反証はできませんし、そもそもWikiPediaはこのようなことを研究する場ではありません。 個人的にこの研究を発表されたいのであれば、然るべきところにて行うのが正しいかと思います。 --Drotup 2011年9月4日 (日) 20:14 (UTC)[返信]

アウシュヴィッツの死亡者数についての諸説とその推移[編集]

この項目は、死亡者数について数多くの説が存在する中で「時間の経過とともにその数が大幅に少なくなるよう数字を選んでいる」という恣意的な見せ方になっています。総じて減少傾向にあることを示すこと自体に異論はありません。ここで挙げる数字の一般性についても考慮していただく必要があるかと存じます。--以上の署名の無いコメントは、203.104.188.36会話投稿記録)さんによるものです。

抑圧の項の一文について[編集]

>>このような状況の中で脱走者も少なからず存在する。脱出した人数は約100人~400人程度だが強制収容所からの脱走だと考えると脱走率は高いと言える。成功した背景には内部のレジスタンスの協力があったとされている。中でも一番脱走者が多かったのがアウシュヴィッツ3である。

とありますが「脱走率の高い低い」は何を基準にしているのでしょう。ちょっと気になったので質問を立ててみました。回答をお願いします。--220.98.188.231 2009年5月17日 (日) 18:24 (UTC)[返信]

タイトル名がおかしい[編集]

「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」 とイコールではないはず。 タイトルは世界遺産の認定とは別の問題。不正確で混乱の元。--115.65.21.19 2010年2月7日 (日) 05:47 (UTC)[返信]

加筆依頼[編集]

ドストエフスキーなどがここに収容された事件(事件名は失念しました)について記述お願いします。--124.100.253.136 2010年2月11日 (木) 06:13 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」上の5個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2018年3月17日 (土) 04:56 (UTC)[返信]