ノート:さいか屋

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「藤沢店は藤沢市が進めていた再開発ビルへの高島屋の招致が地元の根強い反対で実現しなかった」という記述について
この部分はタウンニュースの引用として記載されていますが、藤沢市民としては疑問が残ります。
この反対運動の先頭に立ったのは、他でもなく「さいか屋」自身です。藤沢市は市民に「都市型百貨店の誘致」を約束していました。藤沢の一般消費者は、さいか屋進出まで横浜高島屋に買い物に行っていましたし、再開発ビルの建設予定地には1950年代から高島屋ストアがあったので、高島屋進出を心待ちにしていました。
ビルの建設予定地がさいか屋の隣地であり、そこに高島屋が来ると一番困るのはさいか屋だったので反対し、それに力の無い 志澤、十字屋、江ノ電百貨店といった地方百貨店が同調したわけです。
市は高島屋にかわる都市型百貨店を探して東奔西走しましたが、そのような状況で入居してくれるような企業が見つかるわけもなく、さいか屋が立候補したと当時の読売新聞は報じています。
当時の市民は この自作自演の茶番劇に怒りを覚えたものです。
が、こういう状況を作ってしまったのも藤沢市のバカ役人のせいですから、仕方なしに静観していました。
しかし、その裏には 藤沢市にべったりの張り付いて牛耳っている横浜銀行とスルガ銀行も糸を引いていたことは明白です。 というのは市庁舎や 新しくできた商業ビル(湘南モールやテラスモール)には必ずこの2つの銀行ATMが設置されているからです。
そしてこの銀行の他にも、当時の高島屋が相模鉄道の合弁会社で、さいか屋の筆頭株主に京浜急行があり、さらには江ノ電の親会社が小田急であるという、鉄道会社の覇権争いも見え隠れしました。 今でこそ、私鉄各社は テリトリーを守って仲良しですが、当時は 小田急+江ノ電vs京浜急行が 火花を散らしていました。京浜急行と江ノ電は大船-江の島間のバス路線の営業権をめぐって裁判沙汰も起こしています。西武鉄道も 七里ガ浜や西鎌倉の宅地開発をやって西鎌倉へのバス路線参入をたくらんでいた時期がありました。そこへ全く縁もゆかりも無い相模鉄道が来るのは各社にとって面白くないことでしたから。
従って、この記述のうち「地元の根強い反対」云々は 企業側の人間が一方方向からの視点を伝えたもので、歴史的事実の黒い部分の隠蔽、美談の捏造になる恐れがあるので、できれば避けていただきたいです。 --ロクベー会話2013年4月10日 (水) 09:27 (UTC)[返信]

創業者の表記について[編集]

本文の七ヶ所すべてが「岡本傅兵衛」となっていますが、この「傅」は「傳」のあやまりではないでしょうか? また、「伝」を正字にするのであれば「衛」も「衞」でなくてはおかしいと存じます。初出を「岡本伝兵衛(岡本傳兵衞)」とされ、以下は「岡本伝兵衛」とする方がよいように私には思われます。(藪野直史 2016年11月6日)

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ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2018年3月16日 (金) 11:44 (UTC)[返信]