ノート:お東騒動

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「対立の根底」 の情報源[編集]

「対立の根底」は内容から、どなたかの論文ではないかと推量しています。 こうした場合、情報源を示してもらえれば幸いです。j8takagi 2006年9月2日 (土) 16:45 (UTC)[返信]


記事が全般的に独自研究に基づいた記述が含まれているおそれがあります。また、中立的観点といえない記述が含まれているおそれがあります。[編集]

「対立の根底」

二つの動きに検証可能な事実ではなく中立的ともいえないとおもいます。 筆者の一意見、観点ならともかく「2つの動きがあった。」と事実化させるのはおかしいです。


「大谷家当主への権威・権限の集中」

>また大谷家は、(本来は門徒からの懇志である)本願寺の財産も、その絶対的権力から私物視していた。

とありますが、これも筆者の観点だと思います。本願寺の財産≠大谷派の財産であります。 「多額の債務」や「土地の売却益の行方」もまた本願寺の代表役員である法主の権限でしたものであり一概に私物化したという事実はないはずです。

「権威・権限が集中した理由」

これもまた検証可能な事実といえず擬似天皇制など中立的とはいえない内容だと思います。

「個々人の自覚を重視する教学思想の形成」

>近代日本における体制面と思想面での二つの動きが、同一宗派内において同時期に集中的に展開した結果 これもまた検証可能な事実といえないと思います。 またこの改革を引っ張った訓覇信雄らの真人社は結成した時点で法主体制の打倒と同時に地方面からの個々の門徒による教団の活性化を目指したことはその結成当寺の言葉からあきらかであり、一概に近代日本における時代の流れとは言いがたいと思います。

「権力闘争としての側面 」 これは私がくわえたものでありますが、全体的に中立性がないと思い、別観点としていれましたがこれもまた私の一意見にすぎません。 意見、修正お願いいたします。

「発端」

「開申事件」からよりも体制の打倒を目指した訓覇信雄らの真人社の結成やその流れも加えるべきかとも思います。

「改革の実施」

象徴門首制 単純に国家、天皇制とだぶらせる見方は中立性がなく筆者の一意見ではないでしょうか。 象徴門首制を語るのならば門首の立場をかいた宗憲の内容などの事実のみを記載するのが妥当と思います。 以上の署名の無いコメントは、125.2.103.208会話/whois)さんが[2009年4月30日 (木) 13:33 (UTC)]に投稿したものです(あるふぁるふぁによる付記)。[返信]

>寺院の宗教法人としての規則には、「○○姓」と限定した上で、ほぼ全てが寺族による世襲制を選択しており

こんな寺院規則作ってる大谷派の寺なんて見たことないぞ。まして「ほぼ全て」ってどういうこと? ちょっと出典示してほしい(1ヶ月経って出てこなかったら削除します)。岸本元--111.216.73.216 2013年5月31日 (金) 13:41 (UTC)調べたらあっさりいくつか出てきた。失礼しました。ほぼ全てかどうかはともかく、そのままにしておきます--111.216.73.216 2013年5月31日 (金) 13:52 (UTC)[返信]