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ノート:おさげと花と地蔵さんと

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遊郭云々について[編集]

この歌を「貧しい家の娘が遊廓に売られていく歌である。」と解説してあるが、これは悪ふざけで書かれた文であると思う。

この歌のどこにもそのような話はないし、色々調べてみたが、この歌の作詞者、作曲家、歌手のいずれかがこの歌をそのように考えているという資料は出てこなかった。例えば「二木紘三のうた物語」という歌のブログの、この歌の投稿欄に、この歌が世に出た頃に実際に聞いたと思われる年配の人々が文章を寄せているが、「ああ上野駅」や三橋美智也の「りんご村から」との比較が述べられ、集団就職のことが回顧されている。その投稿欄でのこのWikipedia の「遊郭云々」への疑問に、二木紘三氏自身が「就職(たぶん)で故郷を離れ、大都会で暮らしている少年が、出発を見送ってくれたおさげの女の子をはじめ、その時の光景を懐かしんでいる――以外の解釈は無理筋でしょう。」と答えている。

Wikipedia で悪ふざけをするのは、特に、このような優れた歌を、また歴史において遊郭に売られた女性があったことを、自分の悪ふざけの種にする行為は許されない行為だと思う。一年くらい待ち、「遊郭説」を支持する資料が提示されなければ、「貧しい家の娘が遊廓に売られていく歌である。」の部分は削除すべきだと考える。代わりに、「田舎を出て都会に就職した人が、出発を見送ってくれた村の人々のこと、ことにおさげ髪の少女のことを、思い出している歌である。」のような文を入れるべきであると思う。

--紀伊の海会話2023年1月6日 (金) 02:31 (UTC)[返信]

追記[編集]

三橋美智也氏自身が歌番組でこの歌を歌う前に、「私がふるさとをあとにして東京に出て…」と語り、ふるさとを思う気持ちを述べ、次に女性の声が、氏が上京したのちもふるさとを忘れることがなかったことを説明し「ふるさとを歌った名曲です」と紹介してから、歌が始まっている(1983年2月21日「にっぽんの歌」テレビ東京)。「遊郭説」はその三橋美智也氏の心を無視している。

(私は「紀伊の海」と同一人物です。password を忘れてしまったので、「紀伊の海2」の新アカウントを作って入りました。)--紀伊の海2会話2023年1月7日 (土) 19:26 (UTC)[返信]

追記[編集]

この Wikipedia に遊郭説を書き込んだ人は、自分の愛唱歌が何の理由もなく「女の子が遊郭に売られる歌」と書かれているのを見てどんな気持ちがするか考えみてほしい。--紀伊の海2会話2023年1月8日 (日) 21:49 (UTC)[返信]

追記[編集]

上に、「一年ほど待って」と書いたが、Wikipedia の影響は大きく、間違った説は悪影響があると思うので、一年も待つことなく、近いうちに本文を改訂したいと思う。私でない、心あるかたによる改訂は大歓迎である。私が改訂する場合、「貧しい家の娘が遊郭に売られていく歌である。」の部分を「故郷の村を出て遠く離れた都会に住む人が、出発を見送ってくれた村の人達のこと、特におさげ髪の少女のことを、思い出している歌である」に変えるつもりである。また次のような注を二つ付けるつもりである。

1. 三橋美智也自身が歌番組でこの歌を歌う前に、「私がふるさとをあとにして東京に出て…」と語り、ふるさとを思う気持ちを述べ、次に女性の声が、三橋が上京したのちもふるさとを忘れることがなかったことを説明し「ふるさとを歌った名曲です」と紹介してから、歌が始まっている(1983年2月21日「にっぽんの歌」テレビ東京)。

2. かつてこの項には、この歌について「貧しい家の娘が遊廓に売られていく歌である。」という解説が書かれていた。この歌のどこにもそのような話はなく、また、この歌の作詞者、作曲家、歌手のいずれかがこの歌をそのように考えていたという資料も存在しない。上記の注の三橋美智也の心にも反している、根拠の無い説である。--紀伊の海2会話2023年4月28日 (金) 23:53 (UTC)[返信]

追記[編集]

見識ある心あるかたが、本文を改訂してくださった。情感豊かな美しい文章で、歌の内容を描いてくださり、正確な情報も与えてくださった。心より感謝します。--紀伊の海2会話2023年4月29日 (土) 14:29 (UTC)[返信]