ニュー・イヤーズ・デイ

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ニュー・イヤーズ・デイ
U2シングル
初出アルバム『WAR(闘)
B面 Treasure (Whatever Happened to Pete the Chop)
リリース
規格 7インチ・シングル
12インチ・シングル
ジャンル ロック
レーベル アイランド
作詞・作曲 U2
プロデュース スティーヴ・リリーホワイト
チャート最高順位
アイルランド2位
UK10位
US53位
カナダ41位
オーストラリア36位
ニュージーランド32位
フランス17位
オランダ11位
ノルウェー9位
スウェーデン17位
U2 シングル 年表
セレブレイション
(1982年)
ニュー・イヤーズ・デイ
(1983年)
トゥー・ハーツ・ビート・アズ・ワン
(1983年)
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ニュー・イヤーズ・デイ」(New Year's Day )はU2のサードアルバム『WAR(闘)』からのリードシングルで、U2のシングルとして初めてUKチャートのトップ10に入った曲である。スマッシング・パンプキンズビリー・コーガンは16歳の時に、ラジオから流れてきたこの曲を聴いて、U2のファンになったと話している[1]大晦日の夜にこの曲をかけて新年を迎えるU2ファンも多い[独自研究?]

解説[編集]

Octoberツアー中のサウンドチェックの際にアダムがVisageの「Fade To Gray」のベースラインを弾き間違えたことから生まれた曲。元々はボノからアリへ向けたラブソングだったのだが、その後方針転換し、後にポーランドの大統領となるレフ・ヴァウェンサ率いる独立自主管理労働組合「連帯」をテーマとする曲となった。ボノはなかなか歌詞を完成させることができず、危うくアルバムから漏れるところだった(ちなみに歌詞にある「Under a blood red sky」の一節は、その後、ライブアルバムのタイトルになった)。レコーディング中、リリーホワイトは「Sunday Bloody Sunday」には特別なものを感じていたものの、「NYD」にはピンと来なかったが、スタジオに出入りしていたインターンの少年が、この曲が流れる度に興奮しているのを見て、「もしや」と思ったのだという[2]

そして「War」のレコーディングが終わった後の1983年1月1日、実際にポーランドで戒厳令が解かれ、この偶然にU2のメンバーは大変驚いた。

戦場の場面を描写するなんて愚かしいことかもしれない。でも「NYD」がトップ10入りしたという事実は、レコードを買う人たちがチャートに登場するようなポップなものに幻滅していることだと思うんだ。「NYD」がポップシングルだとは思ってないよ。ミッキー・モストがいうところの3分間で終わって3週間チャートに入っているようなポップシングルとは明らかに違う。俺たちにそういう歌が作れるとは思えないね。[3] — ボノ

B面[編集]

Treasure (Whatever Happened to Pete the Chop)[編集]

「Pete The Chop」とはごく初期にバンドのマネジメントに関わっていたアンドリュー・ホワイトウェーのニックネームで、彼から「僕のために曲を書いてくれ」と頼まれて書いたのが同タイトルの曲。当時のU2にしてはポップな曲で、ポール・マクギネスもアイランド・レコードの社員もヒット間違いなしと考えシングルリリースを勧めたが、バンドは気に入らずそのままお蔵入りとなった。その後「Treasure」とタイトルを変えて、「New Year's Day」のB面に収録されることになったのだが、その際、なかなかシングルヒットが出ないU2に業を煮やしたアイランド・レコードの社員が、口癖のように「『Pete The Chop』はどうなっている?《Whatever Happened to Pete the Chop?》」と言っていたため、それを副題に使った[4]。「Pete the Chop」は初期のライブで演奏されたことがあるが、この曲は一度もない。

「War」のデラックス・エディション収録。

PV[編集]

監督はメイアート・エイヴィス、ロケ地はスウェーデンのスキーリゾート地・サーレンで、1982年12月15日と16日の2日間に渡って撮影された。寒風吹きすさぶ雪原に立ち尽くして歌い、馬に乗って森の中を行くバンドの姿が印象的なこのPVはMTVでヘビロテされ、現在でも人気の高いU2のPVの一つである。だが、4人が馬に乗るシーンはメンバーが上手く馬を乗りこなせず、また保険にも入っていなかったため、実際に乗っているのは地元の十代の女の子たちである。また雪原で歌うPVというアイデア自体もエコー&ザ・バニーメンの「The Cutter」のPVの盗用と噂され、U2を毛嫌いしていたイアン・マッカロクは激高していた。

素敵な景色にはスケールな大きな音楽がつきものだ。アイルランドの景色は壮観だ。普通、中で撮るよりも外で撮るほうが安上がりだ。照明もセットもいらないからね。薄暗くて、日光は数時間しか差さない……アイルランドの天気はいつもそんな感じだ……エッジのギターはロマンチックな詩人や画家を思わせる。合唱のようで神秘的な調べがあるんだ。ボノもロマンチックな詩人で、間違いなく、アイルランドの景色はU2の音楽に影響を与えている。初期のビデオの費用は覚えていないけれど、たぶん1万ドル以下だね。バンドがパフォーマンスしている姿を撮るには十分だけれど、それ以上のことは無理だ。が、ビデオは金の問題じゃない。アートなんだ。タクシーに乗るのとはわけが違う。でもタクシードライバーに例えれば、1時間以上の代金を得た感じだ。[5] — メイアート・エイヴィス

ライブ[編集]

2015年7月23日の時点で、ライブで演奏された回数においてトップ10に入っている[6]。ライブの際、エッジはギターとピアノの両方を器用に弾きこなしているものの、時々演奏ミスをしている。この曲を演奏する際、80年代はフェンダー・ストラトキャスターを使っていたが、90年代以降はギブソン・レスポール・カスタムギブソン・レスポールを使っている。この曲をレコーディングしたときに使ったギブソン・レスポールは、2007年、ハリケーン・カトリーナの被害にあったミュージシャンを支援するためエッジが設立したチャリティ団体Music Risingが主催したチャリティ・オークションに出品され、24万ドル(約2850万円)で落札された[7]

Vertigoツアーの際、2005年7月5日にポーランドのシレジア競技場で行われたライブでは、「NYD」を演奏している際、アリーナ席の観客が赤と白のアイテムを掲げてポーランドの国旗を作るパフォーマンスを行った。感動したボノはジャケットを裏返して裏地の赤を見せ、お辞儀をして、敬意を表した[8]。360度ツアー・ポーランド公演でも同じパフォーマンスが行われた。

リミックス[編集]

ピアノのパートが印象的だからか、クラブミュージック系のアーチストに頻繁にリミックスされている。

  • フランソワK - 「New Year's Day (USA Remix)」(83)
    「NYD」のフランス盤シングルに収録。U2初のリミックス。BoyツアーかOctoberツアーか不明だが、USツアー中、U2のメンバーはとあるナイトクラブを訪れ、そこでボノがDJを務める機会があったのだが、「Out Of Control」をかけた瞬間、フロアから人がさっといなくなってしまった。この出来事に衝撃を受けたボノは「クラブで踊るような若者にも聴いてもらわなければ」という思いを抱いたのだが、それがリミックスという形で実現した。
    フランソワ・Kは70年代後半から現在までシーンの第一線で活躍しているフランス人DJで[9]、この曲以外にも「Two Hearts Beat As One(USA Remix)」と「Wire (Kevorkian 12" Vocal Remix)」)」(「The Unforgettable Fire」デラックス・エディション収録)を手がけている。
    「War」のデラックス・エディションに収録。
  • フェリー・コーステン - 「New Year's Day (Ferry Corsten Extended Vocal Mix)」「New Year's Day" (Ferry Corsten vocal radio mix)」(99)
    オランダのDJフェリー・コーステンがU2側にリミックスを申し入れ、U2側が快諾したところ、クラブシーンで大ヒット。シングル盤がリリースされることになったのだが、「政治的」事情により取りやめになり、「War」デラックス・エディションに収録されて、ようやく日の目を見た。
当時U2はリミックスをとても気に入ってくれ、ボノ自身が電話をくれ、気にいったと言ってくれるほどだった。でもその2ヶ月後、政治的な理由でキャンセルされたんだ。当時のボノは政治に関する発言が多く、これは彼らの音楽にも反映されていた。この歌をリミックスとしてリリースすることで誤った信号を送るかと思ったらしい。でもその10年後、再リリースされる『WAR』にはリミックスを入れるべきだと思ってくれたんだ、とても光栄だよ。[10] — フェリー・コーステン
  • Musique vs U2 - 「New Year's Dub」(01)
    MUsiqueというのはムースとニック・ハンソンという人物のこの曲限りのユニット。アイルランド13位、UK15位、オランダ55位、イタリア46位、スイス93位、オーストラリア74位とスマッシュヒットした。

カバー[編集]

カバー[編集]

サンプリング[編集]

  • Kiss AMC - 「A Bit Of U2」(89)
  • Dynamic Base - 「Africa」(93)
  • With It Guys - 「Let The Music Take Control 」(93)
  • Hyperlogic - 「Only Me」(95)
  • Bacon Popper - 「Free」(98)

評価[編集]

1983年当時[編集]

  • 1983年ホットプレス読者が選ぶ年間ベストアイリッシュシングル第2位[11]
  • 1983年NME年間ベストシングル50第47位[12]
  • 1983年ジョン・ピールが選ぶ年間ベストソング50第41位[13]
  • 1983年クリーム(アメリカ)年間ベストシングル第6位[14]
  • 1983年Rockerilla(イタリア)年間ベストシングル第18位[15]

オールタイム[編集]

  • 1989年ラジオヴェロニカ(オランダ)が選ぶオールタイムベスト500第37位[16]
  • 1991年Voxが選ぶ世界にショックを与えたレコード100第90位[17]
  • 1993年ポール・ウィリアムズが選ぶロックンロールベストシングル100第89位[18]
  • 1999年スタジオ・ブリュッセル(ベルギー)の視聴者が選んだオールタイムベストソング第31位[19]
  • 2004年ローリングストーンが選ぶオールタイムベストソング500第427位[20]
  • 2005年ロックサウンドが選ぶプロテストソング10第7位[21]
  • 2008年ピッチフォークが選ぶパンク以降の優れた曲500[22]
  • 2010年ローリングストーンが選ぶオールタイムベストソング500第435位[23]
  • NMEが選ぶロックを定義する75曲[24]

脚注[編集]