デイヴィッド・リンジー (第9代クロフォード伯爵)

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第9代クロフォード伯爵デイヴィッド・リンジー英語: David Lindsay, 9th Earl of Crawford PC1558年9月20日没)は、スコットランド貴族。第8代伯爵と第10代伯爵ともに遠縁にあたることから、「書き入れ伯爵」(The interpolated Earl)と呼ばれた[1]。彼のヤンガーソンの家系はやがて分家バルカレス伯爵家を興した。

生涯[編集]

ウォルター・リンジー(Walter Lindsay、1513年のフロドゥンの戦い英語版で戦死)の息子として生まれた[1]

第8代クロフォード伯爵デイヴィッド・リンジーの長男アレグザンダーが父殺し英語版で1531年に有罪判決を受け、継承権を失ったため、第8代クロフォード伯爵は1541年10月16日に遠戚にあたるデイヴィッド・リンジー(第3代クロフォード伯爵デイヴィッド・リンジーの男系子孫にあたる)を後継者に指名、翌1542年11月27日に第8代クロフォード伯爵が死去するとデイヴィッド・リンジーはクロフォード伯爵位を継承した[1]。ほかにも多くの領地を継承していたが、領地からの収入の多くを領地に対する負担(incumbrances)の解消に使用した[1]。また、次代のクロフォード伯爵には自身の息子ではなく継承権を失った第8代クロフォード伯爵の長男アレグザンダーの息子デイヴィッドを指名した[1]

1542年から1543年にかけてスコットランド王国議会英語版の議員を務め、1546年にはスコットランド枢密院英語版の枢密顧問官に任命された[1]

1558年9月20日にインヴァマーク城英語版で死去、エゼル英語版で埋葬された[1]。第9代クロフォード伯爵の指名通り、第8代クロフォード伯爵の長男アレグザンダーの息子デイヴィッドが爵位を継承した[1]

家族[編集]

1535年6月12日までにジャネット・グレイ(Janet Gray初代グレイ卿アンドルー・グレイ英語版の息子パトリック・グレイの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[1]

1549年、キャサリン・キャンベル(Catherine Campbell、1578年10月1日没、第2代アーガイル伯爵アーチボルド・キャンベル英語版の息子サー・ジョン・キャンベルの娘)と再婚[1]、5男2女をもうけた[2]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 514–515.
  2. ^ "Crawford, Earl of (S, 1398)". Cracroft's Peerage (英語). 22 March 2005. 2020年7月6日閲覧
  3. ^ Lindsay of Balcarres, Lord (S, 1633)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2021年1月2日閲覧。
スコットランドの爵位
先代
デイヴィッド・リンジー
クロフォード伯爵
1542年 – 1558年
次代
デイヴィッド・リンジー