スティクス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
スティクス
Styx
Styx.JPG
ジェイムス・ヤング、トミー・ショウ、ローレンス・ゴーワン(2008年)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国
ジャンル プログレッシブ・ロック
ハードロック
活動期間 1963 - 1984年
1990 - 1991年
1995 -
レーベル ウッデンニッケル
A&Mレコード
公式サイト www.styxworld.com
メンバー James "J.Y." Young
Tommy Shaw
Todd Sucherman
Lawrence Gowan
Ricky Phillips
Chuck Panozzo
旧メンバー Dennis DeYoung
John Panozzo
John Curulewski
Glen Burtnik
テンプレートを表示

スティクス (Styx) は、アメリカロックバンド

概要[編集]

1970年代から活動しているバンド。日本ではアメリカン・プログレ・ハードなどのジャンルに括られることが多いが、デビュー当初のサウンドはプログレッシブ・ロックの色彩が強く、長大な楽曲も多く制作していた。時代の流れの中で音楽性は徐々に変化。よりコンパクトでポップな作風へと変わり、結果的にはそれが1980年代初頭の商業上の成功へと繋がっていった。各アルバムは独自性に優れ、シンセサイザーなどの電子機器をいち早くロックに取り入れたバンドとしても知られる。

概歴[編集]

1963年シカゴでチャックとジョンのパノッツォ(パノッソというカナ表記も存在する[1])兄弟が中心となってバンド活動を開始する。その後デニス・デ・ヤング英語版が加入してバンド名が「ザ・トレイドウンズ」となる。当初は1ローカル・バンドに過ぎなかったが、1968年にジョン・クルリュウスキがギタリストとして加入し、バンド名を「トレイドウンズ4」としてプロバンドをめざし始める。1970年ジェイムス・ヤング英語版が加入、その半年後に製作したデモテープがRCA傘下のウッデンニッケル・レコード(Wooden Nickel Records)の代表を務めるビル・トラウト(Bill Traut)に認められ、契約してバンド名をスティクスに変更した。

1972年9月(米国)、アルバム『スティクス』でデビュー。13分以上ある曲を収め、大衆受けはしなかったものの、評価は高かった。1973年7月に2ndアルバム『レイディ (STYX II)』をリリース。1stではオリジナル曲が少なかった彼らだが、このアルバムで方向性を決定付けた。さらに1974年2月に3rdアルバム『サーペント・イズ・ライジング』を発表。ここからかなりポップ性を意識し始め、曲も大曲志向から短いものへと変貌していく。1975年、2年前に発売された2ndアルバムに収録されていた「憧れのレイディ」が2月から徐々にチャートを上昇、8月には全米6位まで浮上し(2週維持)。さらにこれによってアルバムもセールスが延びてゴールドディスクを獲得。このヒットにより同年秋大手A&Mに移籍した。これに関連して移籍第一弾のアルバム『分岐点』の制作後、全米ツアー前に音楽性の違いからクルリュスキが脱退、代って元MS FUNKのトミー・ショウ(Vo./g.)が加入した。

ポップスセンスに秀でたトミー・ショウが加入した事でスティクスの作品はより一般的な人気を獲得し、1977年発表のアルバム『グランド・イリュージョン〜大いなる幻影』が全米トップ10入り、シングルでは「カム・セイル・アウェイ」が全米8位となる。1979年リリースの『コーナーストーン』からはついに全米No.1シングルの「ベイブ」が生まれ[2]、アルバムも全米2位の大ヒットとなり、スティクスは人気バンドとしての成功を獲得するに至った。さらに1981年リリースの『パラダイス・シアター』からは「ザ・ベスト・オブ・タイムズ」が全米3位、「時は流れて」が全米9位となり、アルバムは初の全米1位を記録した[3]

1982年1月には『パラダイス・シアター』を主作品とした初来日ツアーが催行され、6日・福岡サンパレスホール/8日・名古屋市公会堂/9日・京都会館第一ホール/11日・大阪フェスティバルホール/12日・横浜文化体育館/13日・日本武道館大ホールの合計6コンサートが催された。この模様はNHKで放映された。ギタリスト兼ボーカリストのトミー・ショウは京都で三味線を購入した。 さらに1983年には『ミスター・ロボット』(日本に滞在中、テレビで見た工場で稼働する工業用ロボットを見て、この曲が書かれた事は有名である)がリリースされ、日本語の歌詞が含まれた表題曲が収録されて話題となるなど、日本でもその人気が浸透していった。

その後、デニスとトミーとの間に亀裂が生じ、各々がソロ活動に尽力することとなった。80年代後半には既にSTYXの存在は薄れていった。90年にはトミーがダム・ヤンキースに参加。テッド・ニュージェント(g.),ナイト・レンジャージャック・ブレイズ英語版(b.)がこれに参加し、2人のリードギター、3人のリードヴォーカルという一風変わった構成を持ったバンドだった。彼らも「ハイイナフ」(全米3位)でヒットを出している。

デニスは同年にトミーを除いた別メンバー(トミーの代わりに元ハマー(ヤン・ハマーのバンド)のグレン・バートニック英語版(Glen Burtnik, g,vo)で再結成し、同年暮れにはアルバム『エッジ・オブ・センチュリー』をリリース。シングル「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」1990年が全米3位を獲得するなど相変わらずヒットを飛ばすが、メンバー・チェンジなどを繰り返し、不安定な状態での活動が続いた。当時のアメリカはグランジブームであり、メロディアスなロックバンドはレコード会社の サポートが受けられず、受難の時代となり、再び沈黙する事になる。 トミーの方はダム・ヤンキーズで2枚のアルバムを出した後、テッド・ニュージェント脱退を受けてそのままブレイズとショウ&ブレイズというバンド名で活動し、1枚のみだがアルバムも残している。   そして1996年、今度はトミーも含んだ全盛期のメンバーが揃ってのスティクス再結成が話題を呼んだ。しかし、このメンバーでツアーに出ようとした矢先、ドラムのジョンが急逝(アルコール中毒だったらしい)。ジョンの追悼ライヴになってしまったこのツアーでは、急遽ドラムにトッド・ズッカーマン英語版 (Todd Sucherman) を迎え、新曲も数曲披露された。この模様はアルバム用としてもライヴ・レコーディングされ、翌97年『リターン・トゥ・パラダイス』と題してリリースもしている。そのままのメンバーでスタジオ・レコーディングも行われ1999年にアルバム『ブレイヴ・ニュー・ワールド』としてリリースされた。

この直後デニスの脱退が伝えられたが、バンド自体はキーボード&ヴォーカルにローレンス・ゴーワン英語版 (Lawrence Gowan) を迎えて存続させた。2000年には、このデニス抜きのメンバーで2度目の来日公演も行われている。ところが、自分の脱退理由は健康上のものであり、自分無しでのバンド続行は無効であるとするデニスは、バンドに対し訴訟を起こしていたらしい。その結果は不明。[4]

グループとしては2003年に、このメンバーに元の再結成メンバーであったグレン・バートニック英語版をベース・ギター&ヴォーカルにスイッチさせて迎え入れ、スティクスとしてのアルバム『サイクロラマ』を正式リリースしている。尚、2004年時点では、ベースが元ベイビーズ→バッド・イングリッシュのリッキー・フィリップス英語版 (Ricky Phillips) に替わっている。

2011年イエスの前座として北米をツアー。

ディスコグラフィ[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

  • 1972 スティクス (Styx)
  • 1973 レディ (Styx II) (全米20位)
  • 1974 サーペント・イズ・ライジング (The Serpent Is Rising) (全米192位)
  • 1974 ミラクルズ (Man Of Miracles) (全米154位)
  • 1975 分岐点 (Equinox) (全米58位)
  • 1976 クリスタル・ボール (Crystal Ball) (全米66位)
  • 1977 グランド・イリュージョン〜大いなる幻影 (The Grand Illusion) (全米6位)
  • 1978 ピーシズ・オブ・エイト〜古代への追想 (Piece Of Eight) (全米6位)
  • 1979 コーナーストーン (Cornerstone) (全米2位)
  • 1981 パラダイス・シアター (Paradise Theater) (全米1位)
  • 1981 烈風 (日本限定版・ファン投票による選曲)
  • 1983 ミスター・ロボット (Kilroy Was Here) (全米3位)
  • 1990 エッジ・オブ・ザ・センチュリー (Edge Of The Century) (全米63位)
  • 1999 ブレイブ・ニュー・ワールド (Brave New World) (全米175位)
  • 2003 サイクロラマ (Cyclorama) (全米127位)

ライブ・アルバム[編集]

シングル[編集]

1972年

  • Best Thing (全米82位)

1974年

  • Lady (全米6位)

1975年

  • You Need Love (全米88位)

1976年

  • Lorelei (全米27位)
  • Mademoiselle (全米36位)

1977年

  • Crystal Ball
  • Come Sail Away (全米8位)

1978年

  • Fooling Yourself (The Angry Young Man) (全米29位)
  • Blue Color Man (Lonely Nights)(全米21位)

1979年

  • Sing For The Day (全米41位)
  • Renegade (全米16位)
  • Babe (全米1位)

1980年

  • Why Me (全米26位)
  • Borrowed Time (全米64位)

1981年

  • The Best Of Time (全米3位)
  • Too Much Time On My Hands (全米9位)
  • Nothing Ever Goes As Planned (全米54位)

1983年

  • Mr. Roboto (全米3位)
  • Don't Let It End (全米6位)
  • High Time (全米48位)

1984年

  • Music Time (全米40位)

1990年

  • Love Is A Ritual (全米80位)
  • Show Me The Way (全米3位)

1991年

  • Love At First Sight (全米25位)

1997年

  • Paradise

1999年

  • Everything Is Cool

2003年

  • Waiting For Our Time

2005年

  • I Am The Walrus

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

  • 1982年来日ツアー公演パンフレット。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 1982年の来日ツアーの公演パンフレットより
  2. ^ 1979年12月8日/12月15日付けの2週連続。詳細はこちら
  3. ^ 1981年4月4日/同11日/5月9日付けの3回。詳細はこちら
  4. ^ デニスは病気が完治するまでツアーを延期して欲しいとトミーに打診するが聞き入れられず、結果バンドを追い出される形で脱退させられた。それにより、Babe、The Best Of Times、Mr.Roboto他数曲がSTYXはライブで演奏出来ない契約になってしまう。