スタンホープ伯爵

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スタンホープ伯爵(スタンホープはくしゃく、英語: Earl Stanhope [ˈstænʊp][1])、またはスタナップ伯爵(スタナップはくしゃく)は、グレートブリテン貴族。1718年から1967年まで存続した。

歴史[編集]

1718年、国王ジョージ1世の重臣ジェームズ・スタンホープ少将が初代スタンホープ伯爵に叙されたことで創設された[2]。爵位は男系継承とされた。スタンホープは初代チェスターフィールド伯爵フィリップ・スタンホープ英語版の五男アレクサンダーの息子であり、1717年にミノルカ島マオンスタンホープ子爵およびダービーシャーエルヴァーストン英語版スタンホープ男爵に叙されていた。これらの2爵位はジェームズ・スタンホープの男系が断絶した場合にジョン・スタンホープ(初代ハリントン伯爵ウィリアム・スタンホープの父)の子孫が継承できると定められた。スタンホープ伯爵、子爵、男爵はいずれもグレートブリテン貴族である。

初代スタンホープ伯爵ジェームズ・スタンホープ、バルタザール・デンナー英語版作、1715年/1716年頃。

初代伯の孫である第3代伯爵は政治家、科学者であり、フランス革命に同情的な態度をとったため「市民スタンホープ」(Citizen Stanhope)と呼ばれた。第3代伯爵の息子である第4代伯爵は1806年から1816年まで庶民院議員を務め、カスパー・ハウザーに関与したことで知られる。その息子である第5代伯爵はトーリー党の政治家、歴史学者であり、外交次官英語版を務め、小ピットの伝記を出版した。その息子である第6代伯爵は保守党の政治家で、ベンジャミン・ディズレーリの第2次内閣で1874年から1875年まで大蔵卿英語版を務め、またケント州統監英語版も務めた。

第6代伯爵の息子である第7代伯爵も保守党の政治家であり、教育委員会議長英語版貴族院院内総務海軍大臣英語版を歴任した。1952年、遠戚の第12代チェスターフィールド伯爵エドワード・ヘンリー・スクーダモア=スタンホープ英語版からチェスターフィールド伯爵とスタンホープ男爵(「エルヴァーストンのスタンホープ男爵」とは別)の爵位を継承した。しかし、彼はチェスターフィールド伯爵の爵位について議会招集令状を申請しなかったため、貴族院にはスタンホープ伯爵として登院した。1967年に第7代伯爵が死去すると、スタンホープ伯爵、チェスターフィールド伯爵、スタンホープ男爵が断絶した。マオンのスタンホープ子爵エルヴァーストンのスタンホープ男爵は遠戚の第11代ハリントン伯爵ウィリアム・スタンホープ英語版が継承した。

スタンホープの推定相続人はマオン子爵という儀礼称号を使用した。

初代ウェアデイル男爵フィリップ・スタンホープ英語版は第5代スタンホープ伯爵の三男にあたる。

マオンのスタンホープ子爵(1717年創設)[編集]

スタンホープ伯爵(1718年創設)[編集]

マオンのスタンホープ子爵(1717年創設、継続)[編集]

第7代スタンホープ伯爵が死去すると、スタンホープ伯爵は断絶した。マオンのスタンホープ子爵とエルヴァーストンのスタンホープ男爵は遠戚の第11代ハリントン伯爵ウィリアム・スタンホープ英語版に遡って継承され、同伯爵位の従属爵位となった。

脚注[編集]

  1. ^ Debrett's Correct Form, Debrett's Peerage Ltd (1976), p. 408.
  2. ^ Edward Hasted, 'Parishes: Chevening', in The History and Topographical Survey of the County of Kent: Volume 3 (Canterbury, 1797), pp. 105-126. British History Online http://www.british-history.ac.uk/survey-kent/vol3/pp105-126

参考文献[編集]

  • Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Stanhope, Earls" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 25 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 773–775.