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シャーロット・ストラット (初代レイリー女男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

初代レイリー女男爵シャーロット・メアリー・ガートルード・ストラット英語: Charlotte Mary Gertrude Strutt, 1st Baroness Rayleigh、旧姓フィッツジェラルド(FitzGerald)、1758年5月29日 - 1836年9月13日)は、イギリス貴族

生涯

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初代リンスター公爵ジェームズ・フィッツジェラルドと妻エミリー英語版第2代リッチモンド公爵チャールズ・レノックスの娘)の娘として、1758年5月29日に生まれた[1]

1789年2月23日、ジョセフ・ホールデン・ストラット英語版(1758年11月211日 – 1845年2月18日)と結婚[1]、2男2女をもうけた[2]

  • エミリー・アン(1790年1月24日 – 1864年12月14日[3]
  • ジョン・ジェームズ(1796年1月30日 – 1873年6月14日) - 第2代レイリー男爵[1]
  • シャーロット・オリヴィア(1798年1月5日 – 1897年1月31日) - 1841年1月19日、ロバート・ドラモンド(Robert Drummond、1883年4月14日没、アダム・ドラモンドの息子)と結婚[3]
  • ウィリアム・ヘンリー(1800年 – 1805年[2]

1821年7月18日、夫の軍務における功績により、連合王国貴族であるエセックス州におけるターリング・プレイスのレイリー女男爵に叙された[1]。爵位の継承権は初代女男爵と夫ジョセフ・ホールデン・ストラットの間の男系男子に与えられた[1]

1836年9月13日にバースで死去、23日にターリングで埋葬された[1]。息子ジョン・ジェームズが爵位を継承した[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1945). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Oakham to Richmond) (英語). Vol. 10 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 748–749.
  2. ^ a b Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 2 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 2299. ISBN 978-0-97119662-9
  3. ^ a b Lodge, Edmund, ed. (1902). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (71st ed.). London: Hurst and Blackett. p. 590.
イギリスの爵位
爵位創設 レイリー女男爵
1821年 – 1836年
次代
ジョン・ジェームズ・ストラット