ガリーナ・ブィストロワ

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獲得メダル
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
陸上競技
オリンピック
1964 東京 女子 五種競技
ヨーロッパ選手権
1958 ストックホルム 女子 80mハードル
1958 ストックホルム 女子 五種競技
1962 ベオグラード 女子 五種競技

ガリーナ・ブィストロワ(ロシア語: Галина Петровна Быстрова、1934年2月8日 - 1999年10月11日)は、ソビエト連邦の陸上競技選手。1964年東京オリンピックの銅メダリストである。アゼルバイジャン共和国ナヒチェヴァン出身。

経歴[編集]

ブィストロワは、80mハードルと五種競技の選手として活躍。1955年までは旧姓のドルシェンコワを名乗っていたが、1956年以降はブィストロワと名乗った。1956年、ブィストロワはソビエト選手権の80mハードルで3位となりメルボルンオリンピックへの出場を決める。メルボルンでは、11秒0で、3位のオーストラリアノーマ・スローワーと同タイムとなりながら、4位となり惜しくもメダルに手が届かなかった。

ブィストロワは、ソ連国内では、1957年から100mハードルを3連覇。1957年から五種競技を連覇している。1958年のストックホルムで開催されたヨーロッパ選手権では、この2種目に出場、まず五種競技で、4733ポイントで、同じソ連のニーナ・ヴィノグラドワらを押さえ金メダル。五種競技が終わった翌々日、100mハードルを10秒9で制し、2冠を達成した。

1960年ローマオリンピックには、前回と同様80mハードルに出場。しかし、11秒2で、前回を下回る5位という成績に終わった。2年後のユーゴスラビアベオグラードで開催されたヨーロッパ選手権でも、4年前と同じ80mハードルと五種競技に出場。80mハードルは10秒8で6位となったが、五種競技では、フランスのデニス・ゲナールらを押さえ2大会連続の金メダルを獲得。なお、このとき4位には1968年メキシコシティーオリンピックの金メダリストのイングリット・ベッカー、5位には、1972年ミュンヘンオリンピックの金メダリストのマリー・ピータースが入賞している。

ブィストロワは、100mハードルより五種競技でよい成績を残していたが、1964年東京オリンピックから五種競技が正式種目となり、3回目のオリンピックで初めてのメダル獲得の可能性が出てきた。そして、東京では、4956ポイントで、同じソ連のイリーナ・プレス、イギリスのマリー・ランドに次いで銅メダルを手にし、初のオリンピックでの表彰台となった。

これ以降、ブィストロワは国際大会に出場することはなかったが、1968年のソビエト選手権の五種競技で3位という成績を残している。

自己ベスト[編集]

  • 80mハードル - 10秒6 (1958年)
  • 五種競技 - 4467pt (1964年)

主な実績[編集]

大会 場所 種目 結果 記録
1956 オリンピック メルボルン(オーストラリア) 80mハードル 4位 11秒0
1958 ヨーロッパ陸上選手権 ストックホルム(スウェーデン) 80mハードル 1位 10秒9
1958 ヨーロッパ陸上選手権 ストックホルム(スウェーデン) 五種競技 1位 4733
1960 オリンピック ローマ(イタリア) 80mハードル 5位 11秒2
1962 ヨーロッパ陸上選手権 ベオグラード(ユーゴスラビア) 五種競技 1位 4833
1964 オリンピック 東京(日本) 五種競技 3位 4956
1964 オリンピック 東京(日本) 80mハードル 6位(sf) 10秒8
  • sfは準決勝

外部リンク[編集]