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ガラスペン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ガラスペン(全体)

ガラスペンとは、つけペンの一種で、ガラス製のペンである。毛細管現象によってペン先の溝にインクが吸い上がり、筆記が可能になる[1][2]。書き味は滑らかで[1]、1回インクをつければハガキ1枚程度の筆記ができる[1][2]

17世紀にヴェネツィア近郊のムラーノ島で発明されたと考えられており、海外では「ベネチアンガラスペン(venetian glass pen)」または「ムラーノ(murano)」とも呼ばれる。

特徴

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ガラスペン(部分)

金属ペンとは異なり、あらゆる方向にペン先が走り、墨汁が利用できる等の利点がある[3]

1910年代から1960年代にかけて、日本や欧州を中心に、金属ペンと同様の、実用向けに機械で量産された使い捨ての消耗品として広く普及した。ペン軸への接続はネジ込み式になっており、「ガラスペン軸」(ガラスペン先と内径が適合する竹軸のような物)を別途用意して穴に差して使用した[4]。金属ペン用のペン軸に差して使えるタイプも販売された。このタイプの製品は、1960年代にボールペンの普及によって淘汰され、その後のガラスペンは、ホビー向けに職人が制作した一転物の高級品タイプが基本となっている。

ペン先をインクに浸すだけで使え、ハガキ1枚分ほどなら連続して書ける[1]。ただし、立てて書くとインクが出にくい特性がある。ある程度寝かせて書くと良い。使い終わった後は、水洗いして布やティッシュペーパーで水気を拭き取る。ガラスは腐食に強いため、酸性のインク(古典的な没食子インクなど)や、あるいはラメ入りなど万年筆では詰まりやすいインクにも使いやすい。

ガラス製であるため、ペン先が透明になってくるとインク切れが分かる。インクを補充する時、インク瓶の縁にペン先を当てると傷みが生じるので注意が必要である[5]。また、他の筆記具と違ってガラス製であるため、不注意によって落下させたり、インク瓶の底にペン先を当てることで簡単に割れて使えなくなってしまう。

「硝子筆」とは異なる。硝子筆は、鉄筆角筆の仲間で、カーボン紙で複写を作るためのスタイラスであり、インクは付けない。硝子筆は、実用的なガラスペンが発明される1900年代以前より一般的に使われていた。

歴史

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万年筆のガラスペン先

ガラスペン大手メーカーのエルバン(1670年創業)によると、17世紀にヴェネツィア近郊のムラーノ島で発明されたという。当時の筆記具として一般的に使われていた、ガチョウの羽製の羽ペンと比べると、ガラスペンは摩耗に強かったが、脆い上に高価で、また当時の構造ではインクを十分に保持できなかったので、ほとんど普及しなかった。

19世紀にテューリンゲンのガラス職人によって改良され、ある程度使われるようになった。ガラスペンはペンの向きを変えずにいろんなものに書けて便利なので、布地へのマーキング用などとして使われていた。なお、羽ペンに代わるペンを様々な材料で制作する試みの末、1830年にジェームス・ペリーによって両脇にスリットを入れることで弾力性を持たせた鋼製ペンの構造が発明され、19世紀の中ごろより鋼製のペン先が機械で量産されるようになり、羽ペンは金属ペンに置き換えられていった。ガラスペンは実用品というよりあくまで装飾性の強い高級品という位置づけであった。

1902年、日本の佐々木貞次郎によって、ペン先に縦溝を刻んだガラスペン先が発明された。この構造により、毛細管現象を利用して十分なインクを保持できるようになり、また流量も安定し、ガラスペンが実用段階に入った。溝を入れた細いガラスのパイプを熱して両端から引っ張るという製法で、製造コストが安く、最大手の佐々木ガラスペン本舖(ササキガラスペン)以外にも、家内工業の中小メーカーが乱立。1920年代には日本から海外に盛んに輸出され、幅広く使われた。1930年代にはモンブランなどのドイツ大手筆記具メーカーも参入した。金属のペン先と比べると、コストが低い、錆びないなど、利点が多かったが、しかし同時期より、金属のペン先が改良によって耐久性を増していくと、金属ペンがガラスペンをコスト的に下回るようになり、ガラスペンは衰退していった。

第二次大戦中の物資不足の際には金属が配給制となったため、ガラスペンが再び盛り返した。また、万年筆のペン先としても使用された。大戦後も、金属が国家に管理されている地域や、いまだに戦時中の地域などではガラスペン先の万年筆が一般的であった。万年筆のペン先はレアメタルのイリジウムを使うので、高価ながら摩耗に強いのに対し、ガラスペン先は摩耗に弱いが、研磨すれば長く使える。

ガラスペンは、大戦中に金属の供出・配給制が敷かれたヨーロッパ諸国と日本で特に人気があったが、大戦後は金属のペン先のコストが下がったのと、また1950年代よりボールペンの普及が始まり、つけペンや万年筆などの需要がそもそも激減したので、ガラスペンは実用を退いた。

実用を退いた後、ガラスペンは再び、装飾性の強い高級品という位置づけとなった。用途はもっぱらカリグラフィー(西洋書道)である。現在もイタリアのフランチェスコ・ルビナート社などがムラーノ製のベネチアンガラスペンを製造している。フランスの筆記具大手のエルバンもガラスペンを製造している。

ガラスペンは、長らく木軸や竹軸のペンが一般的であったが、1989年にオールガラス製のガラスペンが日本で発明された。以後、ガラスペンというとオールガラス製のものが一般的である。

日本のガラスペン

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竹軸のガラスペン

ガラスのペン先は日本生まれの筆記具で、かつて一般的な文房具だった。1900年代当時の日本では、金属ペンはもっぱら西洋から輸入していて非常に高価だったので、毛筆が筆記具として一般的に使われていたが、ガラスペンは国産で安価なうえ、金属ペンのようにごく細い字が書けるし、日本でそれまで使われていた毛筆の道具を流用できる。ペン先は毛筆の形を模したものであり、毛筆と同じ墨汁が使え(金属ペンは専用インクの使用を前提としており、墨汁を使うとすぐに錆びた)、和紙にも書けたため、毛筆を置き換える形で大正時代に普及した。

官庁や代書業で主に使われていた[6]。こちらの業界ならではの使い方として、毛筆と違い、原本・正本・謄本をカーボン紙で複写して一気に作ることができるので便利だった。

ガラスペン先は、毛筆と同じような竹軸のガラスペン専用ホルダーに取り付けて使うタイプが一般的だったが、金属ペン用のホルダーに刺して使えるアダプター付きのペン先も販売された。

第一次大戦中は金属ペン先の輸入が滞ったために金属ペン先の値段が特に高騰し、ガラスペン先が普及したが、戦後は国産のゼブラ印ペン先などが大規模に量産されるに至って、金属ペン先の価格も下がったため、「脆い」「折れやすい」というガラスペン先の欠点を考えると、総合的なコスパで金属ペン先が選択される場合も増えた。しかし第二次大戦中は金属が供出制となったため、民間ではガラスペンしか入手できない状況が続いた。

1950年代以後、ガラスペンはボールペンの普及によって衰退した。民間で使用されなくなった1960年代以後も、官庁ではガラスペンの使用が指定されているところもまだあったため、細々と製造が続いたが、これもやがてボールペンに置き換えられ、大量生産の工業製品としては見なくなった。

高崎市役所の例を挙げると、大戦中の1944年に生産がストップした毛筆の代用として職員にガラスペンが配給され、戦後の統制下でもガラスペンは統制外で何本でも入手可能であったためそのまま使用が続けられたが、1951年に貿易が再開すると、手を汚さずに使える便利な万年筆が出回り始め、アメリカに行った市長が買ってきたボールペン(当時は万年筆以上の高級品)が課長以上に支給されたのが1953年とのこと[7]。ガラスペンはもともと、乾きが遅い上に墨汁がボタ落ちするので評判がよくなかったが、戦後に先の方やミゾのつけ方などが改良されたためにすらすら書けるようになったとのこと。

土地登記では、和紙にガラスペンで区画を図示する必要があり(和紙公図)、そのため登記所では1991年の時点でガラスペンが使われていたという[8]

1989年にペン全体がガラスで作られた商品が開発され、海外からの評価も高い[1]

年表

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  • 1989年佐瀬勇がペン先だけでなく、軸とペン先が一体型でペン全体がガラスからなる製品を世界で初めて開発[10]工芸品(硝子工芸)としての価値を高めた[11]
  • 1996年菅清風が世界で初めてペン先から軸まで全てが硬質ガラス製のガラスペンを開発[12][3]。かつてのガラスペン普及当時は軟質硝子に加えてカゼイン樹脂(ラクト)もペン先に使用されていて、摩耗や破損に弱く、金属ペン先と同じく使い捨ての消耗品だった。ガラスペンの位置づけが実用品から装飾性の強い高級品へと移行したあとも、材質が軟質硝子なので摩耗や破損に弱いという欠点はそのままで、定期的に研磨などのメンテナンスが必要で、最終的には買い替えることになった。そこで丈夫でペン先が減らず、万年筆に劣らない滑らかな書き味を実現する硬質ガラスペンを考案し開発した[12]
  • 2018年ワンチャーが台湾のガラスペン職人の楊森が制作したガラスペン先万年筆の「しずく万年筆」を発売。ガラスペン先万年筆を日本市場に1世紀ぶりに復活させた[13]

メーカー

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ここでは「ガラスペン」を主に製造・販売している日本のメーカーを記す。

現在

  • 佐瀬工業所[14] -「平和萬年筆」
  • ガラス工房炎[15][16]
  • 哲磋工房[17]
  • 北一硝子[18]
  • 竹内製作所「clarto」[19]

その他、HASE硝子工房など多くのガラス職人や工房が製作している。

廃業・生産終了

  • 葵文具製作所(現:たけうち[20])-「葵ガラスペン」[21][22]
  • 合資会社小島製作所 -「コジマノペン」
  • 佐々木商店 -「佐々木ガラスペン」ガラスペンを開発した佐々木定次郎が営んでいた。

その他、昭和時代には「キクスイ印」「ダルマ印」「クラウンの硝子ペン」などと数多くの小規模のガラスペンメーカーが存在した。

脚注

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  1. 1 2 3 4 5 ガラスペン - 伝統工芸品”. 台東区公式 伝統工芸品サイト. 台東区. 2024年2月1日閲覧。
  2. 1 2 テレビ日経おとなのOFF|BSテレ東|ホンモノ物語 ガラスペン”. BSテレ東. 2024年2月1日閲覧。
  3. 1 2 3 職人の手 01 ガラスペン『ガラス工房 炎』 菅 清風”. www.anonima-studio.com. 2026年1月2日閲覧。
  4. ガラスペンについて(歴史や使い方)”. Glass Studio Reborn (2019年6月3日). 2026年1月2日閲覧。
  5. 【彩りプラス】ガラスペン 輝く職人技『朝日新聞』朝刊2019年3月1日(第2東京面)。
  6. 『暮しの図鑑 4 生活』p.73、主婦と生活社、1969年
  7. 『市役所小史 第1部』p.41、野町右京、1988年3月
  8. 『すき・くわ・かま : 土に生きるかたち 』p.83、INAXギャラリー名古屋企画委員会・企画、INAX、1991年3月
  9. ガラスペンの歴史”. 佐瀬工業所. 2025年1月29日閲覧。
  10. ガラスペンの歴史”. 佐瀬工業所. 2026年1月2日閲覧。
  11. 佐瀬 勇 / 硝子ペン”. meikoukai.com. 2026年1月2日閲覧。
  12. 1 2 硬質ガラスペンとは | ガラスペンのことなら京都北白川の菅清風へ (Seifu Kan)”. www.kanseifu.com. 2026年1月2日閲覧。
  13. しずくガラスニブ万年筆”. Wancherpen Japan. 2026年1月2日閲覧。
  14. Home”. 佐瀬工業所. 2024年10月19日閲覧。
  15. ガラスペンのことなら京都北白川の菅清風へ | ガラス工房焱(ほのお)(Seifu Kan)”. www.kanseifu.com. 2026年1月2日閲覧。
  16. 世代を越え、手仕事の炎をつなぐ2代目硬質ガラスペン職人が描く道 | 京都移住計画”. kyoto-iju.com. 2026年1月2日閲覧。
  17. Arts and Crafts 哲磋工房 ~魔法を手にするガラスペン~”. 2026年1月2日閲覧。
  18. 北一硝子”. 北一硝子. 2026年1月2日閲覧。
  19. 【clarto】ハンドメイド のガラスペン・ガラス製品ブランド”. 【clarto】 ハンドメイド のガラスペン・ガラス製品ブランド. 2026年1月2日閲覧。
  20. 会社概要|岡崎市|複合機|コピー機|株式会社たけうち”. 岡崎市|複合機|コピー機|パソコン|株式会社たけうち. 2024年10月19日閲覧。
  21. 葵文具製作所 - 骨董、古民具、古書の“芳栄堂””. www.nasushiobara-hoeido.com. 2024年10月19日閲覧。
  22. 竹内文具店 | 老舗”. みかわこまち. 2024年10月19日閲覧。