オーストリア復興協定

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オーストリア復興協定(オーストリアふっこうきょうてい、英語: Protocol for the reconstruction of Austria)は1922年10月4日に締結された、オーストリア第一共和国イギリスフランスイタリアチェコスロバキアの間の条約。条約は国際連盟の監督下でオーストリアの経済復興を行うことを定めた。条約は締結と同日に国際連盟条約シリーズに登録された。スペインは同年11月3日に協定に加入した。

内容[編集]

条約は3つの宣言で構成されており、いずれも同じ日付に発されたものだった[1][2][3]。1号宣言では締約国がオーストリアの領土と経済独立を侵害しないことを約束した。2号宣言ではオーストリア政府への外国借款を定めた。また借款の使い道を監督する委員会も設立した。3号宣言ではオーストリア政府に2号宣言を遵守するための立法に必要な時間を与え、また委員会の決定に対する異議申立権も定めた。

その後[編集]

1922年の協定は1932年7月16日に締結された「オーストリア協定」(Austrian Protocol)で改訂された。1932年の協定により、ベルギー、イギリス、フランス、イタリア、オランダ政府は共同でオーストリア政府に3億オーストリア・シリングを20年間貸与した[4]

脚注[編集]

  1. ^ Text of declaration No. 1: League of Nations Treaty Series, vol. 12, pp. 386-389.
  2. ^ Text of declaration No. 2: Ibid, pp. 392-403.
  3. ^ Text of declaration No. 3: Ibid, pp. 406-411.
  4. ^ Text of the 1932 protocol in League of Nations Treaty Series, vol. 135, pp. 286-299.

参考図書[編集]

  • H. Strauss, Die Verträge von Genf und Lausanne in ihrem wirtschaftlichen, politischen und sozialen Umfeld (Diplomarbeit, Wien 1988)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]