エヴフィミヤ・ウラジミロヴナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エウフェーミア
Eufémia
ハンガリー王妃
在位 1112年

死去 1139年4月4日
キエフ公国キエフ
結婚 1112年
配偶者 ハンガリーカールマーン
子女 ボリス
家名 リューリク家
父親 キエフ大公ウラジーミル2世
母親 エフィミヤ
テンプレートを表示

エヴフィミヤ・ウラジミロヴナロシア語: Евфимия Владимировна、? - 1139年4月4日)は、キエフ大公ウラジーミル2世の娘である。ハンガリー語名はエウフェーミアハンガリー語: Eufémia)。

生涯[編集]

エヴフィミヤは1112年ハンガリー王カールマーンと結婚した。しかし、カールマーンは重い病気に苦しめられていたが、エヴフィミヤの姦通を暴き、キエフへ送り返した。キエフにおいて、エヴフィミヤは息子のボリス(ru)(1113年 - 1155/6年)を出産し、ボリスは後にハンガリー王位継承権を主張することになるが、カールマーンはボリスを自身の家門の子と認めなかった。その後エヴフィミヤはキエフ近郊の修道院に入り、残りの人生をそこで過ごした。

参考文献[編集]

  • Soltész, István: Árpád-házi királynék (Gabo, 1999)
  • Kristó, Gyula - Makk, Ferenc: Az Árpád-ház uralkodói (IPC Könyvek, 1996)