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ウルビーノ公夫妻像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『ウルビーノ公夫妻像』
イタリア語: Doppio ritratto dei duchi di Urbino
英語: Portraits of Federico da Montefeltro and His Wife Battista Sforza
作者ピエロ・デラ・フランチェスカ
製作年1465-1472年ごろ
種類板上に油彩
寸法47 cm × 66 cm (19 in × 26 in)
所蔵ウフィツィ美術館、フィレンツェ

『ウルビーノ公夫妻像』(ウルビーノこうふさいぞう、伊: Doppio ritratto dei duchi di Urbino, 英: Portraits of Federico da Montefeltro and His Wife Battista Sforza)は、イタリア初期ルネサンス期の巨匠、ピエロ・デラ・フランチェスカが1465年から1472年ごろに板上に油彩で制作したであ2点の肖像画 (各々 47×33センチ) である。イタリア・ルネサンスの最も著名な肖像画のうちに数えられ[1][2]、現在、フィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されている[1][2][3][4]。

作品

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本作が描かれたと思われる1465年以降、ウルビーノのモンテフェルトロ家は、ピエロにとって最も寛大なパトロンであった[4]。ピエロは、1460年代にウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの庇護により、その宮廷と親密な関係ができた[1][2][3]。ウルビーノ公の宮廷は、すぐ後にイタリアで最も重要な文化的芸術的拠点の1つとなる[1][2]。

古代の硬貨の意匠に着想を得た14世紀の伝統に倣い、ウルビーノ公夫妻は横顔で描かれている。横顔の形式は、表情の細部を忠実に再現しつつ、内面的な感情を表に出すことなく、本人と見紛うほどの似姿を捉えることを可能にしている。実際、夫妻の顔には、動揺や感情の揺れといったものは一切うかがえない[1][2]。フェデリーコの肌に用いられたブロンズ色と、バッティスタ・スフォルツァ公爵夫人の肌の青白い色調との対比は際立っている。公爵夫人のその青白さは、ルネサンス期に好まれた美の規範に従ったものであると同時に、1472年に彼女が早世したことを暗示している可能性もある[1][2]。事実、夫人を描いている絵画の左半分は、彼女の死後に制作されたものである[5]。

『ブレラ祭壇画』中のフェデリーコの肖像

ピエロは、当時の最高のファッションとして、夫人の額を後退して見えるように描いている[5]。一方、フェデリーコは『ブレラ祭壇画』 (ブレラ美術館、ミラノ) [6][7]中の肖像画同様に左を向いているが、それは、彼がかつて馬上槍試合で受けた剣の打撃によって右目と鼻筋を失っていたためである。実際、フェデリーコは、残された片目の視野を広げ、暗殺の危険を減らすために、外科医に命じて損傷した鼻筋を完全に切除させていた[4]。

構図は、前景と後景が急激な隔たりを示す大胆なものである[4]。夫妻像の背景に広がるなだらかな丘陵の風景と光の表現は、空間的な広がりを感じさせる[1][2]。ピエロは空気遠近法を使用しており、遥か彼方まで続く風景は遠くになるほど輪郭はすべて朧なものになっている[4]。この風景は公爵夫妻が統治したマルケ地方を表すもので[1][2]、ピエロがウルビーノの誇り高い地主兼支配者として夫妻を讃えるのに役立っている[8]。

肖像画の裏にある勝利の寓話の場面

肖像画の裏側には、公爵 (左側) と夫人 (右側) がキリスト教の諸徳を伴い、古代の車に乗って凱旋する勝利の寓話の場面が描かれている[1][2]。フェデリーコの馬車は馬に、バッティスタの馬車はユニコーン (一角獣) に引っ張られている。2頭のユニコーンは、それぞれ「純潔」と「忠実さ」を象徴する。フェデリーコは背後に翼のある「勝利」の擬人像を伴いつつ馬車を御し、その前方には、「節制」、「不屈の精神」、「正義」、「慎重さ」の擬人像が座っている。一方、バティスタは「貞操」と「謙虚さ」の擬人像を伴いつつ馬車を御し、その前方には「慈善」と「信仰」の擬人像が腰かけている。

ラテン語の銘文は夫妻の道徳的価値観を称えている。フェデリーコの銘文は「その美徳の名声」を称賛し、バッティスタの銘文は彼女が「夫の業績により栄誉を受けている」と述べている。裏面にこうした図像が描かれていることは、現代の1つの額に収められているこれら2枚の絵画がかつては1対の作品「ディプティク」を構成していたことを示唆する[1][2]。

ピエロが、当時イタリアでよく知られていたロヒール・ファン・デル・ウェイデンとヤン・ファン・エイクの作品を想起させる、柔和な色彩と光り輝く大気に倣っているのが顕著に見て取れる。おそらく、ピエロはフランドル様式を示す油彩の釉薬を使用して、この明るさの感覚を創造した[9]。

脚注

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  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 “The Duke and Duchess of Urbino Federico da Montefeltro and Battista Sforza”. ウフィツィ美術館公式サイト (英語). 2026年9月18日閲覧。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 “Portraits of Federico da Montefeltro and His Wife Battista Sforza”. Web Gallery of Artサイト (英語). 2026年9月18日閲覧。
  3. 1 2 ルチアーノ・ベルティ、アンナ・マリーア・ペトリオーリ・トファニ、カテリーナ・カネヴァ、1994年、44頁。
  4. 1 2 3 4 5 “Diptych Portrait of Battista Sforza and Federico da Montefeltro, Duke of Urbino”. Traveling in Tuscanyサイト (英語). 2026年9月18日閲覧。
  5. 1 2 “15 Facts About 'Portraits of the Duke and Duchess of Urbino'” (英語). www.mentalfloss.com (2017年1月24日). 2020年5月1日閲覧。
  6. ↑ “Madonna and Child with Saints, Angels and Federico da Montefeltro (San Bernardino Altarpiece)”. ブレラ美術館公式サイト (英語). 2026年9月14日閲覧。
  7. ↑ 『ブレラ 絵画館全作品ガイド』、1997年、93頁。
  8. ↑ Baldwin, Robert (1987). “Politics, Nature, and the Dignity of Man in Piero Della Francesca's Portraits of Battista Sforza and Federico da Montefeltro”. Source: Notes in the History of Art 6 (3): 14–19. doi:10.1086/sou.6.3.23202317. ISSN 0737-4453.
  9. ↑ Dorra, Henri; Hartt, Frederick; Spencer, Harold; Rothschild, Lincoln (1978). “Art, a History of Painting-Sculpture-Architecture”. Art journal 37 (4): 353. doi:10.2307/776052. ISSN 0004-3249. JSTOR 776052.

参考文献

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  • ルチアーノ・ベルティ、アンナ・マリーア・ペトリオーリ・トファニ、カテリーナ・カネヴァ『ウフィツィ美術館』、みすず書房、1994年 ISBN 4-622-02709-7
  • 『ブレラ 絵画館全作品ガイド』、SCALA、1977年 ISBN 978-888117680-9

外部リンク

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