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アレグザンダー・ラムジー・オブ・マー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アレグザンダー・ラムジー、1944年

アレグザンダー・アーサー・アルフォンゾ・デーヴィッド・モール・ラムジー・オブ・マーAlexander Arthur Alfonso David Maule Ramsay of Mar, 1919年12月21日 クラレンス・ハウス - 2000年12月20日 マー・ロッジ・エステート英語版[1][2])は、20世紀イギリスの軍人・地主。ヴィクトリア女王の曾孫で、王室縁者として遇された。

生涯

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ヴィクトリア女王第三王子コノート公アーサーの娘パトリシアと、スコットランド貴族第13代ダルハウジー伯爵英語版の三男で海軍士官のアレグザンダー・ラムジー英語版の間の唯一の子[3]。祖父コノート公爵の殿邸クラレンス・ハウスの母の私室のバスルームで誕生した[2]

洗礼式は1920年2月23日セント・ジェームズ宮殿チャペル・ロイヤルで時の国王ジョージ5世夫妻や王太后ら主だった王室メンバーの臨席のもと行われ、ウェールズ公デイヴィッド、スペイン王アルフォンソ13世ルイーズ王女ヘレナ王女とその娘ヘレナ・ヴィクトリア公女、ボルトン・エアーズ=マンセル英語版海軍中佐が洗礼の代父母に名を連ねた[4][3]

1937年の又従兄ジョージ6世の戴冠式では、王の甥ラッセルズ子爵とともに、ペイジ・オブ・オナー英語版を務めた。同年イートン・スクールを卒業し、グレナディアガーズに入隊。第二次世界大戦では北アフリカ戦線に従軍し、1943年チュニジアで戦車での戦闘中に右脚を失う。1944年、オーストラリア総督となったグロスター公爵の部下となりオーストラリアに配属される[2][1]

1947年イギリスに帰国すると、伯父の未亡人アレグザンドラ王女からマー・ロッジ英語版及びその付属地所マー・ロッジ・エステート英語版の相続人に指名され、将来の農場主としての素養を身に付けるためオックスフォード大学トリニティ・カレッジに入学して農学を専攻[3]。同カレッジを1952年に卒業し、エディンバラ西郊サウス・クイーンズフェリー英語版にあるリンリスゴー侯爵家地所の農地管理人英語版補佐を3年間務めた。

1959年伯母アレグザンドラ王女の死に伴い、マーの城館と地所を相続し、マーのレアード(領主)英語版(Laird of Mar)となる。同時に、スコットランド紋章裁判所は、ラムジーが姓に領主の地位を示す「オブ・マー(of Mar)」の称号を加えることを認可した。地所の相続に伴い莫大な相続税が発生したため、地所の一部を売却しこれに充てた[2][1]。なお、伯母からはマクダフ男爵英語版位をも相続した[5][6]

1956年10月6日フレイザーバラ英語版にて、フレイザー氏族英語版族長第20代ソルトーン卿の長女で女子相続者のフローラ・フレイザー英語版と結婚。妻は1979年ソルトーン卿位と所領を相続し[3]、これ以降ラムジー一家は妻方の所有するケアンズブルグ城英語版を居城とした。ラムジーは1971年より自分と妻の所領のあるアバディーンシャー副統監を務めた[2]。81歳の誕生日を迎える前夜に、急病のためマーの地所で亡くなった[1]

子女

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妻との間に3人の娘をもうけた[7]

引用・脚注

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  1. ^ a b c d “Captain Alexander Ramsay” (英語). Herald Scotland. (22 December 2000). https://www.heraldscotland.com/news/12159091.captain-alexander-ramsay/ 9 February 2020閲覧。 
  2. ^ a b c d e Captain Alexander Ramsay of Mar”. The Daily Telegraph. 14 January 2015閲覧。
  3. ^ a b c d Mosley, Charles, ed (2003). Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood (107 ed.). Burke's Peerage & Gentry. p. 1021. ISBN 0-9711966-2-1 
  4. ^ “The Ramsay Christening – Ceremony at St. James's”. The Times: p. 19. (24 February 1920) 
  5. ^ Mosley 2003, Vol. I., pp. 1021, 1759.
  6. ^ The General Register of Sasines, Book 1001, Folio 70. Edinburgh, UK: Public Records Office, Register House. (1982). pp. 76 
  7. ^ Mosley 2003, p. 3510