コンテンツにスキップ

奥野一香

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。羽生さんかん (会話 | 投稿記録) による 2020年6月19日 (金) 15:37個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (新しいページ: 「{{Infobox 人物 |氏名=奥野 一香 |ふりがな=おくの いっきょう |画像= |画像サイズ= |画像説明= |生年月日=1899年 |生…」)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
おくの いっきょう

奥野 一香
生誕 1899年
東京都
死没 1939年
職業 駒師
奥野藤五郎
テンプレートを表示

奥野 一香(おくの いっきょう、1899年 - 1939年は、東京都生まれの駒師。本名 奥野幸次郎、名人駒の作者、勇壮な太字で双玉が基本と云われる。

概略

東京・芝宇田川町生まれ。

同時代に活躍した豊島龍山と技を競い合った。

奥野一香商店という盤駒店を営んでいたが、現在は神保町のカルタ店に変わり当時の面影はない。

龍山の錦旗に対抗して昇龍書をアレンジして奥野錦旗と名付け、安清をアレンジして宗歩好と名付けるなど、他の書体でもすべて奥野流に仕上げていた。

また、奥野家には、松尾某という腕の良い職人が出入りしていた、彫りと盛り上げの技術が素晴らしく、奥野一香作の名駒はほとんどが松尾の手によるものであった。

これは、奥野に限らず、龍山も静山、影水にも同じく木下某という腕の良い職人をかかえていた。

現在まで、名人戦の第一局は必ず奥野の宗歩好が使用され、名人駒として日本将棋連盟に保管されている。

使いやすく思いきった面取りで、独特の駒形に勇壮な太字の双玉仕立ては、実に個性的な逸品である。

大正から昭和にかけて活躍した、東京駒の中心は、豊島龍山、奥野一香、木村文俊宮松影水金井静山、の五名であり、現在であれば駒の本場というと、「天童」とだれでも思うくらいに山形県天童市が知れ渡っているが、もともとは東京が本場であり、その心意気は、現在は将棋駒研究会雅峰蜂須賀に引き継がれている[1][2]

参考文献

  • 駒研出版会・編 編『駒のささやき : 将棋駒の魅力とその世界』駒研出版会、1996年。 
  • 増山, 雅人『将棋駒の世界 : カラー版』中央公論新社〈中公新書 1869〉、2006年。ISBN 4121018699 

脚注