奥野一香
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おくの いっきょう 奥野 一香 | |
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生誕 |
1899年 東京都 |
死没 | 1939年 |
職業 | 駒師 |
親 | 奥野藤五郎 |
奥野 一香(おくの いっきょう、1899年 - 1939年は、東京都生まれの駒師。本名 奥野幸次郎、名人駒の作者、勇壮な太字で双玉が基本と云われる。
概略
東京・芝宇田川町生まれ。
同時代に活躍した豊島龍山と技を競い合った。
奥野一香商店という盤駒店を営んでいたが、現在は神保町のカルタ店に変わり当時の面影はない。
龍山の錦旗に対抗して昇龍書をアレンジして奥野錦旗と名付け、安清をアレンジして宗歩好と名付けるなど、他の書体でもすべて奥野流に仕上げていた。
また、奥野家には、松尾某という腕の良い職人が出入りしていた、彫りと盛り上げの技術が素晴らしく、奥野一香作の名駒はほとんどが松尾の手によるものであった。
これは、奥野に限らず、龍山も静山、影水にも同じく木下某という腕の良い職人をかかえていた。
現在まで、名人戦の第一局は必ず奥野の宗歩好が使用され、名人駒として日本将棋連盟に保管されている。
使いやすく思いきった面取りで、独特の駒形に勇壮な太字の双玉仕立ては、実に個性的な逸品である。
大正から昭和にかけて活躍した、東京駒の中心は、豊島龍山、奥野一香、木村文俊、宮松影水、金井静山、の五名であり、現在であれば駒の本場というと、「天童」とだれでも思うくらいに山形県天童市が知れ渡っているが、もともとは東京が本場であり、その心意気は、現在は将棋駒研究会の雅峰、蜂須賀に引き継がれている[1][2]。
参考文献
- 駒研出版会・編 編『駒のささやき : 将棋駒の魅力とその世界』駒研出版会、1996年。
- 増山, 雅人『将棋駒の世界 : カラー版』中央公論新社〈中公新書 1869〉、2006年。ISBN 4121018699。
脚注
- ^ 駒研出版会 1996.
- ^ 増山 2006.