龍海寛

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龍 海寛(りゅう かいかん、Long Haikuan、? - 1862年)は、末のトン族の蜂起の指導者。

貴州省天柱壩平出身。秀才出身。1861年に蜂起して壩平を陥落させた。翌年、姜映芳の指揮下に入って天柱県城を占領し、政権樹立に加わった。5月には陳大六とともに湖南省に進撃し、青渓(現在の鎮遠県)を占領して、貴州省に入る湘軍の補給路を断った。さらに玉屏で清軍3千人を破って東進を続けたが、清軍は主力が東進を続ける隙に本拠地の天柱を陥落させた。龍海寛は黎平に逃れたが、清軍の襲撃に遭って戦死した。

参考文献[編集]

  • 高文徳編『中国民族史人物辞典』中国社会科学出版社