黒川渉

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黒川渉

黒川 渉(くろかわ わたる、1892年明治25年)5月21日[1] - 1950年昭和25年)12月25日[2])は、司法官僚検事

経歴

東京市出身。1917年大正6年)、東京帝国大学法科大学独法科卒業[3]。同年、司法官試補となり、東京地方裁判所に勤務した[1]。翌年、検事となり、神戸地方裁判所、東京地方裁判所を歴任した[1]1926年(大正15年)より書記官として司法省刑事局に勤務し、1932年(昭和7年)には大臣官房会計課長となった[1]1935年(昭和10年)、大審院検事に転じる[3]1939年(昭和14年)には司法省刑事局長となり、東京控訴院検事を経て、1941年(昭和16年)に大審院検事となった[3]

1944年(昭和19年)、司法次官に就任。終戦後は東京控訴院検事長に転じた[4]

脚注

  1. ^ a b c d 『大日本法曹大観』p.22
  2. ^ 『昭和物故人名録』
  3. ^ a b c 『人事興信録』
  4. ^ 『官報』第5601号、昭和20年9月12日

参考文献

  • 大日本法曹大観編纂会編『大日本法曹大観』国民社、1936年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下巻』人事興信所、1941年。 
  • 『昭和物故人名録』日外アソシエーツ、1983年。