高階積善

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高階 積善(たかしな の もりよし /せきぜん、生没年不詳[1])は、平安時代中期の貴族漢詩人従二位東宮学士高階成忠の八男。官位従四位下民部大輔

経歴

一家は漢学の家系で、父・成忠のほか、姉妹・貴子(高内侍)や、貴子が生んだ藤原伊周も文才を以て聞こえた。

紀伝道を学び、伊予宮内少丞弾正少弼左少弁民部大輔などの官を歴任したのち、長和3年(1014年従四位下に至る。中関白家の外戚として、伊周・隆家兄弟の失脚後は官途に恵まれず、不遇のうちに没した。式部卿宮敦康親王の大叔父でもあり、かの宮で開かれた詩宴の作に「外家夙夜の遺老」と自称して、卑官でありながら外戚を気取っているのを世人が嘲笑したという[2]

寛弘7年(1010年)頃、自身の作を含む当代のすぐれた漢詩を集めた『本朝麗藻』を編纂。一条朝の代表的な詩人の一人で、内裏(一条天皇)や左府(藤原道長)主催の作文会にしばしば招かれ、『本朝文粋』『類聚句題抄』などに併せて十数首の漢詩を残している。

脚注

  1. ^ 長和3年(1014年)叙位され、翌4年の敦良親王読書始に名がみえないことから、同3年頃没したと思われる。
  2. ^ 江談抄

参考文献

  • 大曽根章介・金原理・後藤昭雄『新日本古典文学大系27 本朝文粋』作者解説