須木城
須木城(すきじょう)は現在の宮崎県小林市須木下田にあった平山城。別名を鶴丸城。現在は城山公園(「すきむらんど」の傍)。
概要
須木城は麓の「肥田木城」、中間に位置する「荒神城」、山頂に本丸に該当する「松尾城」があり、「須木城」の名はそれらの総称である。
頂上の松尾城は周囲を断崖が囲み、南西の一画のみが急坂に繋がっている要害の城である。
現在は指標のみが建っている状態で、山頂には何もなくただの広場になっている。
歴史
築城年数は不明であるが、南朝歴にして延元4年(1339年)に肝付兼重が須木城に立て籠もったとの記録があるため、長い歴史のある城である。
戦国時代までは伊東氏に属した、菊池氏の庶家である米良氏が代々城主を務めていた。
元亀3年(1572年)の「木崎原の戦い」で、城主であった米良重方が討ち取られると、その弟の米良矩重が後をつぐ。
天正2年(1574年)に一時的に島津氏の城になり、すぐさま伊東氏に取り返されたと言われているが詳細は不明である。これは、当時須木城代であった米良重直が島津氏に起請文を提出したとの記録からそうされている。
天正4年(1576年)8月24日、米良矩重が主君への恨みから島津氏に寝返ったことにより「小林城」共々島津氏の城となった。その後は宮原景種が須木地頭及び城主に就任する。