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阿部平輔

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阿部 平輔(あべ へいすけ、1886年明治19年)12月18日 - 1943年昭和18年)6月11日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

宮城県出身。1909年(明治42年)5月、陸軍士官学校(21期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官。

1934年(昭和9年)3月、熊本陸軍教導学校学生隊長に就任。1935年(昭和10年)8月、歩兵大佐に昇進。1936年(昭和11年)12月、関東軍下士官候補生隊長。1938年(昭和13年)2月、関東軍附となり、同年3月、第8国境守備隊第2地区隊長に転ずる。同年12月、陸軍少将に進級。同月、第8国境守備隊長に就任。ノモンハン事件に参戦。1940年(昭和15年)8月、内地に帰還し盛岡陸軍予備士官学校長となる。1941年(昭和16年)7月、留守第20師団長に転じ朝鮮に赴任。同年8月、陸軍中将に昇進し太平洋戦争を迎えた。

1942年(昭和17年)7月、第41師団長に親補され華北に赴任したが、同年11月、師団はニューギニアに転用され、ニューギニアの戦いに参戦。苦戦を続ける中で、1943年6月にウェワクで戦病死した。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。