鐘崎 (宗像市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。そらみみ (会話 | 投稿記録) による 2015年9月16日 (水) 09:08個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

鐘崎漁港と金の岬
鐘崎漁港のイカ釣り船
ファイル:Statue of Women shell divers in Chikuzen-Kanezaki.jpg
織幡神社参道脇にある海女の発祥の地の像

鐘崎(かねざき)とは、福岡県宗像市の地名である。

概要

  • 鐘崎は宗像地方有数の漁港であり、トラフグヤリイカアジなどの沢山の魚介類が揚げられ、フグ下関産として唐戸市場に出荷される。
  • 西日本海女の発祥の地として有名である。ルーツとしては済州島との繫がりが考えられる。
  • 鐘崎が響灘玄界灘の境である。
  • 福岡県で一番漁船が多く、漁獲高も一番。
  • 鐘崎盆踊りの口説きは、福岡県無形文化財に登録されている。独特の口説き(歌のような感じだ)と太鼓に合わせて、踊る。

金の岬

神湊港からの地島と金の岬

鐘崎の金の岬(鐘ノ岬)は『万葉集』で詠まれている。

ちはやふる 金の岬を過ぎぬとも われは忘れじ志賀乃(しかの)すめ神

また、『源氏物語』の「玉鬘」においても、玉鬘が亡き母・夕顔の乳父にあたる大宰大弐に連れられて大宰府に船で下る際に金の岬を通過した際に、上記の歌が話題に出されている。なお、その直前に登場する「船人も誰を恋ふかと大島のうら悲しげに声の聞こゆる」という和歌に登場する“大島”について、南北朝時代に書かれた『河海抄』以来、鐘崎の対岸である筑前大島に比定する説が通説とされているが、近年において田坂憲二が平安時代には歌枕として広く知られ、かつ大宰府に下る海路では必ず通過した周防大島と解するべきであるとの異論を出している[1]

観光名所

脚注

  1. ^ 田坂憲二「大宰府への道のり」(倉田実・久保田孝夫 編『王朝文学と交通』(竹林舎、2009年) ISBN 978-4-902084-87-0