金城繁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

金城 繁(きんじょう しげる、1933年 - 2012年3月24日)は、沖縄県国頭郡久志村(現名護市)出身の三線奏者。父の指導により10代より三線を習い、戦後は地元の劇団にて三線の演奏の他踊りを務めた[1]

南大東島に移り住んだ26歳のころに、作業員を務めていた飛行場建設の工事現場で事故にあい、右腕を肘から先10センチを残し切断することになった。三線を弾く右腕を失ったものの試行錯誤の末に、肘の先に櫛を縛って演奏する奏法を編み出した[1]

2009年には友人の誘いもあってCDフォトブックを発売した。約30曲が収められており、中には伝統的な民謡の他、米軍基地の建設に反対する歌なども収められている。 2012年3月24日 肺疾患により沖縄県名護市内の病院にて死去[2]

著書[編集]

  • 唄うことが生きること(studio T出版、2009年)

出典[編集]

  1. ^ a b 2009年9月6日付新潟日報 2面 『きょうの人』
  2. ^ 訃報:金城繁さん死去 歌と三線で反基地訴え”. 毎日新聞 (2012年3月27日). 2012年3月27日閲覧。