那須弓雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。曾禰越後守 (会話 | 投稿記録) による 2010年7月12日 (月) 05:30個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Cat変更)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

那須 弓雄(なす ゆみお、1892年6月27日 - 1942年10月26日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

本籍栃木県。旧黒羽藩士・官吏、那須亨の長男として東京で生まれる。京華中学校仙台陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1913年5月、陸軍士官学校(25期)を卒業、同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第59連隊付となる。1923年11月、陸軍大学校(35期)を卒業。

参謀本部付勤務、台湾軍幕僚付、歩兵第19連隊大隊長上海派遣軍司令部付、鎮海湾要塞参謀歩兵第78連隊付、関東軍司令部付(満州国軍顧問・第3軍管区付)、歩兵第59連隊長などを歴任。1940年3月、陸軍少将に進級。

歩兵第3旅団長を経て、第2歩兵団長としてジャワ島攻略作戦に参加。さらにガダルカナル島の戦いに従軍し、1942年10月に戦死した。死後、陸軍中将に特進した。

親族

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。