遵義府

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遵義府(じゅんぎふ)は、中国にかつて存在した明代から民国初年にかけて、現在の貴州省遵義市一帯に設置された。

概要

もとは播州宣慰司の地にあたる。1601年万暦29年)、明により遵義軍民府が置かれた。遵義軍民府は四川省に属し、直属の遵義桐梓の2県と真安州に属する綏陽仁懐の2県、合わせて1州4県を管轄した[1]

1687年康熙26年)、により遵義軍民府は遵義府と改められた。1724年雍正2年)、真安州は正安州と改称された。遵義府は貴州省に属し、遵義・桐梓・綏陽・仁懐・正安州・赤水庁の1庁1州4県を管轄した[2]

1913年中華民国により遵義府は廃止された。

脚注

  1. ^ 明史』地理志四
  2. ^ 清史稿』地理志二十二