路麻呂

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路 麻呂(みち の まろ、生没年不詳)は、奈良時代貴族春宮大夫路登美の子。真人官位従五位上散位頭

経歴[編集]

元明朝平城京遷都の年、和銅3年(710年押海人成車持益らとともに従六位上から従五位下に昇叙している。その後、元正朝では散位頭になり、養老7年(723年)正月、元正天皇中宮に御座した際に、紀清人大伴祖父麻呂土師豊麻呂津守通とともに従五位上になっている。

官歴[編集]

続日本紀』による。

参考文献[編集]