趙興
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趙興 | |
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南越 | |
4王 | |
王朝 | 南越 |
在位期間 | 前115年 - 前112年 |
諡号 | 哀王 |
生年 | 不詳 |
没年 | 前112年 |
父 | 趙嬰斉 |
母 | 樛氏 |
趙 興(ちょう こう、越:Triệu Hưng)は、南越の第4代王。
生涯
明王趙嬰斉と邯鄲の樛氏のあいだの子として生まれた。紀元前115年、父王が死去すると、南越王として即位した。母の樛氏を太后に立てた。漢朝は趙興の入朝をうながすため、太后の元愛人の安国少季を使者として派遣した。太后は再び安国少季と通じるようになり、趙興に入朝を勧めた。相の呂嘉はたびたび趙興を諫めたが、趙興は聞き入れなかった。太后は呂嘉の反乱を恐れて、処刑の口実を作るため宴席を設けた。呂嘉は気配を察して虎口を逃れ、大臣たちと反乱を相談した。
韓千秋と樛楽は漢の武帝の命を受けて兵2000人を率いておもむき、呂嘉の殺害を謀った。呂嘉はついに起兵して、趙興と太后・安国少季を殺し、趙嬰斉の庶長子の趙建徳を擁立した。
趙興は諡を哀王といった。
参考文献
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