赤生津館跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。佐藤莞嬴弐 (会話 | 投稿記録) による 2021年10月23日 (土) 22:58個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎アクセス: 三陸自動車道へのリンクを三陸沿岸道路などに修正)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

logo
logo
赤生津館跡
宮城県
城郭構造 居館
築城主 奥州藤原氏
築城年 不明
主な城主 葛西氏
廃城年 不明
遺構 居館遺構
指定文化財 市指定史跡
再建造物 なし
位置 北緯38度37分16.67秒 東経141度14分57.21秒 / 北緯38.6212972度 東経141.2492250度 / 38.6212972; 141.2492250 (赤生津館跡)座標: 北緯38度37分16.67秒 東経141度14分57.21秒 / 北緯38.6212972度 東経141.2492250度 / 38.6212972; 141.2492250 (赤生津館跡)
地図
赤生津館跡の位置(宮城県内)
赤生津館跡
赤生津館跡
テンプレートを表示

赤生津館跡(あこうづやかたあと)は、宮城県登米市豊里町庚申にある中世居跡である。登米市指定文化財史跡)。

概要

平安時代末期から鎌倉時代にかけて、奥州藤原氏一族の居館であったが滅んだ後、葛西氏の臣族が居住した[1]館の跡。 1977年昭和52年)、当時の豊里町の史跡に指定され、現在市の史跡となっている。

現状

小高い丘となっており、草木に覆われている。

アクセス

関連項目

脚注

  1. ^ 赤生津館跡”. リクルートライフスタイル. 2015年3月12日閲覧。

外部リンク