裏松恭光

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裏松 恭光(うらまつ やすみつ、寛政12年6月10日1800年7月31日) - 明治5年2月9日1872年3月17日))は、幕末公家裏松光世の子、裏松明光の養子。

京都で誕生する。文化3年(1806年)内廷に勤務し、天保3年(1832年蔵人嘉永4年(1851年従三位安政2年(1855年)参議と昇進を進める。安政4年(1857年議奏に就任し、翌年の条約勅許問題に関与した。安政6年(1859年中納言となるも、万延元年(1860年)辞職。慶応3年(1867年権大納言に就任。

親族

脚注

  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、428頁。

参考文献