衣笠城 (紀伊国)

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衣笠城
和歌山県
城郭構造 山城
築城主 愛洲経信
築城年 文永年間
主な改修者 愛洲氏
主な城主 愛洲氏
廃城年 不明
遺構 なし
指定文化財 なし
位置 北緯33度44分55.6秒 東経135度25分35.3秒 / 北緯33.748778度 東経135.426472度 / 33.748778; 135.426472
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衣笠城(きぬかさじょう)は、紀伊国(現・和歌山県田辺市中三栖)にあった日本の城

概要[編集]

鎌倉時代、南部庄・三栖庄・秋津庄の地頭である愛洲経信が衣笠山に築城し、1247年宝治元年)の宝治合戦以降に職を辞した経信が晩年に南部館から居城を移し、以降、紀伊愛洲氏の居城となった。田辺市立三栖小学校の北西に位置する。

南面に熊野街道中辺路および田辺湾、北面に秋津野を見下ろす要衡であった。

廃城年は不明だが、1615年慶長20年)、愛洲直俊浅野長晟に従って大坂夏の陣に参戦し、樫井の戦いで討死し、これ以降、帰農しているところから廃城もこの前後と思われる。

城は山城で、遺構として石垣がわずかに残されている。

第二次世界大戦末期には、田辺海兵団(第6特攻戦隊司令部)により桜花43乙型の特攻基地(カタパルト)が設営されていた。

関連項目[編集]