藤原遠度

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Snap55 (会話 | 投稿記録) による 2016年1月7日 (木) 15:56個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (平安時代中期の公卿)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

藤原 遠度(ふじわら の とおのり、生年不詳 - 永延3年3月24日989年5月2日))は、平安時代中期の公卿藤原北家右大臣藤原師輔の七男。官位従三位播磨権守北野三位と号す。

経歴

右馬頭春宮亮を経て、天延年間(970年代半ば)に右近衛少将天元年間(980年ごろ)に右兵衛督と武官を歴任する。天延2年(974年)に養女(源兼忠の娘)への求婚を通じて、藤原道綱母へ接近したことが『蜻蛉日記』に見える。しかしこれを求婚のためではなく、藤原兼通間諜として藤原兼家邸に入り込む意図があったとみる意見もある[1]

永延元年(987年従三位に叙せられるが、右兵衛督を止められ散位となったか。永延3年(989年)正月に播磨権守に任ぜられるが、同年3月13日に出家し、24日に薨去[2]

人物

蜻蛉日記』によると、たいそう若々しく美しい容姿をしていたという。

官歴

注記のないものは『公卿補任』による。

系譜

注記のないものは『尊卑分脈』による。

  • 父:藤原師輔
  • 母:藤原公葛の娘
  • 妻:従三位季兼の娘(姓不詳)
    • 男子:藤原高頼
    • 男子:尋空(?-1035)
    • 男子:朝源(?-1046)
    • 女子:藤原広業
    • 女子:宰相[6]

脚注

  1. ^ 川村[1986: 3-13]
  2. ^ 『小右記』
  3. ^ 『尊卑分脈』
  4. ^ 『近衛府補任』
  5. ^ 『小右記』天元5年正月10日条
  6. ^ 『御堂関白記』寛弘6年11月25日条

参考文献

  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第一篇』吉川弘文館、1987年
  • 川村裕子「蜻蛉日記をめぐる人々―藤原遠度とその周辺―」『活水日文 15』活水女子大学、1986年